転職 Side A
「貴方が最後まで諦めずに試練を乗り越え、修行を終わらせ、アコライトになった事を心からお祝いします。……よく頑張りましたね。貴方の行く末に、神のご加護があらんことを」
神父の低くも優しく響く声と共に、白い光がユリウスを包む。祝福の眩さに目を細めながらも視線を下ろせば、真新しく汚れないアコライトの衣装が映った。おずおずと顔を上げ、優しく微笑む神父に笑みを返す。ありがとうございます、と紡ぐ唇は、感極まって震えていた。
数ヶ月のノービス時代を経ての、ようやくの転職。脇で控えていた兄が、聖堂の中であるのも忘れて駆け寄ってくる。顔には満面の喜色が浮かぶんでいる。その顔の右半分を隠す前髪は、ユリウスとは似ても似つかない、深い群青色。
転職試験を受けられるようになるまで、側で見守っていて欲しい。けれど手助けはしないで欲しい。たどたどしい言葉と急な願いにも快く応じてくれた兄は、周囲からは『マッドサイエンティストもどき』と評されるウィザード。研究するのが何よりも好きなくせに、術を自ら行使したいから、という理由だけでセージの道を蹴った変わり者だった。
当然、そんな人物に先人たちの研究内容が開放されるはずもなく、自己流で怪しげな実験をくりかえしている。ユリウスの与り知らぬところでは、無数の人々がこの実験の犠牲になっていた。それでもユリウスにとっては頼もしい良い兄なのだ。
「よく頑張ったな」
そう言いながら、長い指先でユリウスの髪をかき乱す。荒っぽい手つきだが、顔に浮かんでいるのは心底嬉しそうな笑み。まるで我がことのように喜んでくれている。それがわかるからユリウスの心もあたたかくなる。
「アルカージィさんが、見守っていてくれたから……」
「そうだろ、そうだろ。兄をもっと褒めても良いんだよ」
「え……、う……」
自慢げに胸を張るアルカージィ。一瞬だけ差した翳りが何に由来するものなのか、それを知るのは本人ばかり。それを隠すように殊更明るく笑みを輝かせる。
そんな兄の心を知らず、ユリウスは困惑しながら褒め言葉を探している。アルカージィがおかしそうに笑い、また頭を撫でる。今度は、先ほど乱した髪を整えるような丁寧な手つきだ。それが済むなり、懐から取り出した紙袋をユリウスへ渡す。
「あの、これ……」
「転職祝いだ。有難く受け取れ。一時は、無駄になるかとも思ったが……」
意地悪く言ってみせるのは喜びの裏返し。もしかしたら、照れ隠しも。それを悟られまいとアルカージィは、開けてみろと促す。ユリウスは素直に頷き、袋の口を開く。
中から出てきたのは、金の細工が見事なサークレット。埋め込まれた青い宝石が幾粒か、透明な輝きを放っている。ユリウスにはまだ、どれだけ頑張っても到底手の届かない高価な品だ。
不意に涙が滲み、慌てて白い袖口で拭う。
「ありがとう、ございます……」
「大変だろうけど頑張れよ。ああ、でも頑張りすぎるな。何かあったら兄の所へ来い。お前のためなら、いつでも飛んでいくぞ」
途中からおどけたように言う不器用さに、ユリウスは涙ぐんだまま微笑む。つけてみろ、と促す声に頷いて、サークレットを髪の合間へ滑らせる。金属の冷たい感触はすぐに地肌に馴染んでいった。
時折、通りすがりのアコライトやプリーストから祝福が投げかけられる。ユリウスはその一人一人に丁寧に頭を下げて恐縮している。
そんな愛弟の様子をひとしきり眺めてからアルカージィは口を開く。
「さて……これからどうする?」
「無事に転職が完了したと、ルバルカバラ神父さまのところへ、お礼も兼ねて報告へ伺おうかと、思っていたのですが……」
言う内に視線が下を向く。体の前で気弱げに組んだ指が、居心地悪げに何度も組みなおされる。上目にアルカージィを見つめる視線には気遣わしげな色が浮かんでいた。
「あの、……一人で、行きます。もうこれ以上のご迷惑は、かけませんから……」
「むしろ、ついて行きたいくらいだ」
「えっと、あの、大丈夫です。僕につきあって、もう一週間もいて下さってるし、えっと、……ヴァレリオさんのところへ戻ってください……」
消え入りそうな声で言う姿のいじらしさにアルカージィが、吹き出すのを堪えるように口を歪ませる。ユリウスが気にかけているのは、アルカージィの相方のプリースト。言われてみれば、ヴァレリオが笑顔で送り出してくれたからと甘えて、一週間ずっと顔を見せてもいなかった。
それに気付くと溜息をひとつ。もう一度軽く頭を撫でてから、弟の細い肩を叩いて元気付ける。
「気をつけて行って来いよ。危なくなったら、蝶の羽で戻って来い。戻ってきたら、真っ先に顔を見せに来いよ。危なそうな人には近付くな。ええと、それから……」
「あ、う……。が、がんばり……ます……」
ぐっと拳を握るユリウス。幼さの残る仕草が不安でもあり、頼もしくもある。保護者離れをしようとしているのだから、保護者の方でもユリウス離れをしなければならない。わかっていても少し寂しいアルカージィだった。
「それでは、行って参ります」
「ああ、行っておいで。……気をつけて」
心配が顔に出ないように努めてアルカージィはユリウスを見送る。願わくは、無事にプロンテラまで戻って来るように。祈りの文句も知らない不信人のウィザードは、ただ目礼をひとつ。後で、相方のプリーストに代わりに祈りを捧げてもらおう。
ユリウスの姿が見えなくなってしばらくしてから、アルカージィもまたどこかへと姿を消すのだった。
* * *
春も中ごろの晴天。周囲では草が青々と茂り、木立ちの合間でポリンやルナティックが平和そうに跳ねている。プロンテラから離れるにつれて、道は緩やかに傾斜づいていく。
途中途中でポリンやルナティックと戦っては、自ら奪った命へ短い黙祷を捧げる。疲れた心身を休める合間には木陰で教本を開き、聖職者として生きる術を学んだ。
転職したら使いなさいと渡されたメイス。それを振り下ろす度に伝わる感触は、気持ち良いものではない。人々の忌み嫌うモンスターでも、命は命、そんな思いがあるからだろうか。ルナティックの零す血に身が竦むこともある。どうしても吐き気を堪えられなくて、茂みに身を隠すことも。
けれど、一人きりで戦闘をこなせるようになった。そのことはユリウスに僅かばかりの自信を与える。幾度目かの祈りを終え、ユリウスはまた歩き出す。
しばらく行くと、不意に周囲の空気が変わったのがわかる。立ち並ぶ樹の密度が濃くなったかのような錯覚に陥り、軽い目眩を感じて立ちすくむ。先ほどまでの平和の名残を感じないのは、頭上を覆う枝葉の所為か。
薄暗い緑の世界の中をユリウスは恐る恐る進む。アルカージィに連れ添ってもらったときには、緊張こそすれ威圧感を覚えはしなかった。
その感覚を押し返すように唇を引き結び、歩を進める。この森を抜けさえすれば、目当ての神父までは、あと少し。その希望を頼りにユリウスは歩く。
(……あれ……?)
懸命に前へ前へと進めていた足が、はたと止まる。どこからか甘い香りが漂ってきている。鼻腔をくすぐるその香があまりにも甘美で、知らずの内に背筋が震えた。
兄と共に通り抜けたときには感じなかった香り。ないはずのものがある違和に、心拍数が上がる。先ほどまでと同じように歩いているつもりなのに、緊迫感が手足を縛る。
木々が重なり合うようにして密集する狭い道。そこに差し掛かったとき、不意に視界の端から何かが飛び出した。
「わ……」
悲鳴を上げる暇もなく左足に痛みを感じる。視線をやれば足首にしっかりと絡みつく、鮮やかな桃色の触手が見えた。肉じみた弾力のある触手から足を抜こうと右足に力を入れるが、力で敵うはずもない。逆に引きずられるようにして地面へ倒れ伏す。
両手をついて何とか顔や顎を庇いはするものの、転んだときの衝撃に眉を顰めた。足を引きちぎらんばかりの勢いで背後から引かれる。抗おうとして地面に爪を立てても、浅く土を掻くばかり。ぶち、と何本かの草が抜けた。
膝をついて更に力を込めようとするユリウスの細い腰に、新たに触手が絡みつく。ぐいと抱き上げられるようにして体が宙へ浮いた。状況を把握するより前にユリウスは茂みの中へ引きずり込まれていた。身じろぐと頬がぴり、と痛んだ。細い枝の先で切ったらしい。薄っすらと血が滲んでいる。
葉のように艶やかで、切り株のように確かなものの上にユリウスは腰かけさせられている。布地を隔てて確かな生命の躍動を感じるけれど、伝わってくるのはひんやりした冷たさ。そこかしこから伸びた桃色の触手が身をくねらせながらゆっくりとユリウスへ向かう。
「ひ……っ」
悪寒を覚えるほどの未知の冷たさにユリウスが喉を鳴らす。白いズボンの裾からゆっくりと触手が這い上がってくる。それに触発されたように、他の幾本かが襟元や胴回りへ向かう。
触手の中の一本が腰に触れ、見かけ以上の強さで引き摺り下ろす。ベルトごと無理に下ろされた所為で薄い腹に赤い引っかき傷がいくつか出来た。怯えて身を硬くするユリウスを気遣うでも、反応を楽しむでもなく、機械的とさえ言える動きで触手が全身を這い回る。
ズボンが引き下ろされるのも太腿の中ほどまで。邪魔がなくなったとばかり、太い親指ほどの触手が、淡く色づいた窄まりに触れる。突くように何度か触手が触れる度、桃色の表面を覆うぬらぬらした粘液が付着する。ぬちょ、と小さな音が立つ。
「や、だ……っ」
その感触に、これから起こることを予測してユリウスが細い声を上げる。ベルトを通したまま下ろされたズボンが、足をそれ以上開けないように拘束しているかのよう。重心が後ろへいきすぎている所為で身じろぎもままならない。
解されていない入口に、己が滑りだけを頼りに触手が先端を突き入れる。押し開かれていく狭い肉の輪が熱く焼けるように痛む。触手が中へと進むにつれて耳の奥でぎちぎちと音が鳴る。
「ふぁ、あ……ん、っ……」
一息に奥まで貫かれて全身が熱く凍る。それだというのに、唇から漏れるのは甘さを孕んだ小さな声。触手の先端が、奥の小さなしこりを強く擦り、腰が揺らぐ。痛覚すらなさそうな触手を悦ばせようと入口が何度も締まる様は、身に染み付いた行動のように自然。
心の中では嫌と叫んでいるのに、新たな触手が押し付けられると、窄まりは重たげに口を開いて呑み込んでいく。入口が数箇所切れたけれど、それさえも快楽に代わる。
「んっ……、……」
薄く開いた桜色の唇の合間に、太い触手が一本入り込む。むせ返るような甘い香りとは裏腹に、舌に感じるのは耐え難いほどの苦味。苦いのが人一倍苦手なユリウスは瞳の端から一筋涙を伝わせる。喉の奥まで押し込まれる触手に、小さな舌先が絡む。
まるで愛しい相手に奉仕しているかのように丁寧に、冷たい触手の表面を舐める。その様子はまるで、己のぬくもりを分け与えるかのよう。半ば意識を失っていても行えるほどに身につけさせられた行為は、けれどユリウスの心にひとつ、またひとつ細かな傷をつけていく。
目を伏せると、白い聖衣の上を幾本もの触手が這い回っているのが見える。見せ付けるように、脈動するように、触手は上下に緩やかに波打つ。ユリウスの体内に侵入したものも、内側から無理矢理押し広げようとするかのように蠢いている。
「んぁ、……ふ、ぁあ……あ、……っ」
太さの違う数本の触手の上に座らされ、体の奥深くまで擦られる。挿入されたまま決して引き抜かれない触手に快感が燻る。引き抜かれたら、触手同士が擦れ合って頭の芯まで痺れてしまう予感があるのに。
呼吸の困難さと、急に与えられた強すぎる刺激とに頭が真っ白になる。白い幕が下りた頭の中、その合間に昔の己の姿がフラッシュバックする。
明るい日差しが跳ね返る外と全く異質な世界と誇示する、分厚いカーテン。昼間だというのに薄暗い室内に漏れ入る光。不安を覚えるほど深く沈むベッド。衣擦れの音。次第に荒くなっていく他人の呼吸。汗でへばりつく前髪。焼ける喉の痛み。全身を覆う熱の痛み。早く終わらせようとして懸命に快楽を与え続ける体……。
けれど、どれだけ奉仕したところで、触手が達することも満足することもない。命じられたかのようにただひたすらユリウスの体を這い回る。白い衣装に粘液が染み付き、跡を残す。刺激の増えないもどかしさに腰が揺らぐ。助けを求めるように伸ばした手の首に、触手が絡みつく。ねちょっとした冷たい感触が肌に直に伝わり、喉の奥からくぐもった悲鳴が上がる。
「ふ……、っん……」
逃れようと僅かに身じろぐ度、内壁が触手に擦れる。目の前が熱く眩む。自身が熱をもって立ち上がると、それを待っていたかのように細い触手が一本、根元に絡みつく。余った蔓が、自身全体へと絡みついて蠢く。舌で嬲られるのとは微妙に違う、強い弾力のある感触。
先端からじわりと透明の露が零れると、吸い付くようにして触手が絡みつき、覆う。放出を制するかのように、根元が締め付けられる。その鈍い痛みにユリウスが首を振る。身じろぎを抑え込むように、長い触手の一本がユリウスの細い首に伸びる。込められる力は僅かばかりのもの。それでも、口を塞がれたユリウスにとっては、十二分に息苦しい。
呼気を求めて口を開けば、更に奥まで触手が入り込む。そのまま全身を貫かれるのではと怯えが走り、身が強張る。死さえ覚悟して……それでもなお、入口は触手を柔らかく、時に強く締め付けて歓待する。
別れを惜しみたい人の顔が浮いては消える。転職を祝ってくれた聖堂の神父に、これから報告に行こうとしていた神父、プロンテラで帰りを待ってくれているであろう兄。そして、初心者修練所でたまたま知り合った人。撫でてくれる手が兄と同じように優しかったのを覚えている。
もう一度会いたかった。胸の内で呟くともなく浮かんだ言葉に、戦慄が走る。既に幾本も咥え込んだ入口へ新たに触手が寄ってくる。懸命に伸ばしてもがく足の先に触れたのは、硬い瓶だった。何故こんな森の中にと疑問に思うことも出来ない。
「……っ……、ぁあ――……っ!」
触手同士の合間へ無理に、もう一本の触手が押し込まれていく。まだ幼さの残る体が軋みを上げる。白い臀部の合間を、朱が一筋伝った。触手を咥えたままの唇から漏れるのは、苦しさに掠れた細い声。
心の中で呼んだ名は、不思議といつも頼みにしている兄のものではなかった。息苦しさに意識が遠のく間際、草を踏み分ける足音が聞こえた気がした……。
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