xxx月よりも


 満月がひときわ明るく天を照らしている。
 怪しげな植物が植えられたギルドハウスの敷地内にシートを敷いて、気の早い月見としゃれ込む人影がふたつ。深い青の髪で片目を隠すようにしたウィザードはアルカージィ、くすんだ金の髪を撫でつけたプリーストはヴァレリオという。

「今日の月は随分と綺麗に見えるな」
「んー。そうだねえ」
「月の光というのはどうしてこう、心が安らぐんだろう」
「んー。そうだねえ」

 感嘆の溜め息を漏らすヴァレリオとは対照的に、アルカージィは木の幹にもたれかかったまま空を見もせず生返事ばかりをしている。
 何度もやりとりをしてようやくヴァレリオもそれに気づいた。顔を向ければあぐらをかいたまま器用にバランスをとる相方の姿がある。既に諦め顔になりながらもヴァレリオは言う。

「アル……。月が綺麗だよ。せっかくだから見ておいたらどうだい?」
「んー……。月、ねえ」

 整いすぎた人形めいた顔が物憂げに空を見やり、お義理程度に視線を彷徨わせる。も、すぐに元のとおりに視線を下ろしてしまう。
 その視線が真っ直ぐにヴァレリオを向く。
 ガラス球めいた瞳に見据えられ、ヴァレリオは困ったように首を傾げた。

「あ、もしかして……あまりこういうのは好きじゃなかった、かな」
「ううん。嫌いなわけじゃないけど」

 でもね、と呟きながらアルカージィが身を起こした。細い腕が伸びてヴァレリオへと絡む。甘えるように身をすりつけてくるアルカージィを、驚きながらもヴァレリオは抱き返す。
 額と額が触れあい、極間近で視線が合う。

「月よりも、ヴァルの方が綺麗だから。見るのならこっちが良い」
「っ、アル……」

 囁くように紡がれる言葉がむずがゆい。ヴァレリオが身じろぐとアルカージィが微笑を浮かべる。冷たく見える顔もこのときばかりはやわらかく、あたたかい。
 三度まばたいてからヴァレリオが躊躇いがちに口を開く。

「こんなに近いと、ちゃんと見えないと思うんだが……」
「…………。ヴァルって時々、物凄くずれたところに反応するよね」

 がっくりと肩を落としながら腕を解きぼやくアルカージィ。ウィザードのマントの下から覗く剥き出しの腕は、月の光よりも白い。見慣れたはずのそれにヴァレリオは僅かに頬を赤らめる。パーツのひとつひとつが美しすぎるのだと、溜め息をひとつ。

「まあ、それが良いんだけど」

 ぶつぶつと呟きながらアルカージィはヴァレリオの膝に頭を乗せる。ヴァレリオもだいぶ慣れた様子で、膝枕が丁度良い具合になるようにと体勢を変えてやる。仰向けに寝転ぶアルカージィの瞳がヴァレリオを捉えて離さない。
 みずみずしい初夏の匂いをはらんだ風の熱も、今は心地良い。
 雲ひとつ寄せ付けずに輝く青白い月を振り仰ぎ、ヴァレリオは溜め息をつく。あまりにも美しすぎたから。あまりにも遠すぎたから。届きそうで届かないもどかしささえもが愛しい。

「あの月は、アルに似ているな」

 呟きにアルカージィは答えず笑むばかりだ。
 声もなく小さく動いた唇は影に紛れて、ヴァレリオには解読できない。

「え? ……何て、言ったんだい」

 問い直してもアルカージィは何も言わず、笑んだまま瞼を閉じる。遠く近くで虫たちが囁きを交し合う声が聞こえてくる。
 どれほどの時が経っただろう。
 不意に、アルカージィの小さな呟きが耳に届いた。

「僕があの月に似てるって?」
「あ、ああ。すまない、嫌だったかい?」
「ううん。別に」

 膝に頭を預けたままアルカージィはゆるりと首を振る。
 ゆっくりと瞼が開かれる。乱れた前髪の間から普段は見ることの出来ないアルカージィの右目が覗く。その色の深さに胸の奥が心地良く痛むのを、ヴァレリオは感じていた。

「なら、僕を照らす太陽は……ヴァルだね。僕が人の目に触れる場所で存在できるのは、ヴァルがいてくれるから。そうでなかったらきっと――ひとりきり、闇の中で蹲っていたよ」

 いつになく真面目な声で紡がれる言葉に、ヴァレリオは瞳を伏せる。伝えたい気持ちは溢れんばかりにある。けれど言葉にならない。もどかしい。選びきれない言葉の一片までが愛しい。
 適切な言葉を見つけられないままヴァレリオは上体を折る。
 降り注ぐ月の光と共に、アルカージィの額へ口づけを落とした。応えるようにアルカージィが片手を伸ばしヴァレリオの後ろ頭を招きよせる。唇と唇が近づいた。

 ――ありがとう。

 呟いたのはどちらだったのか。判じられぬほどの微かな声の余韻は、互いの舌の間で月光と共に溶かされていく。どれほど飲んでも尽きることのない月光を、互いに飲み干しあう。
 言葉などなくとも通じ合うことの心地良さをしばし二人で味わった。



end

















2006/07/11
  そして青姦へ……。