月が高く上った夜半。
安下宿の一部屋にサーシャはいた。
風呂から上がったばかりなのか首からはタオルを提げ、寝巻き姿だ。
ベッドに座り込んで、愛用の剣の手入れをしている。
 ふいに響いたノックの音にサーシャは顔を上げる。

「ユリウス?」
「あ……はい。あの、ごめんなさい。夜遅くに……」
「まだ寝る準備中だから気にすんなよ。入るか?」
「えと……えっと……。お邪魔します!」

 懸命に決心をつけてようやく、といった様子の返事にサーシャは苦笑する。
まだ狩りの間だけとはいえ一応は相方なのだから、そんなに遠慮しないで欲しい。
それを伝えるのもユリウスの負担になりそうだったからサーシャはぐっと我慢する。
 扉をそろそろと開いて顔を覗かせたのは、サーシャと同じ寝巻きにカーディガンを羽織った細身の少年。

「お前がこんな時間まで起きてるなんて珍しいな」
「ん……、少し、夢見が悪くて……」

 申し訳なさそうに言って俯く顔はいつもより少し青白い。
ユリウスはいつもなら九時になると何があっても寝てしまう。
今はもう、十時。心細げに入り口に立つ姿が気の毒でサーシャは剣を片付ける。

「良かったら一緒に寝るか?」
「え……。良いんですか……?」
「ああ、まあ、ユリウスさえ嫌でなければだけど」
「嫌なんてそんなこと絶対にないです!」

 慌ててぶんぶんと首を振るユリウス。懸命すぎて頬が紅潮している。その様子が嬉しくてにやけそうになるのを、これまた懸命に堪えるサーシャだった。

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 明かりを消して、二人して布団に入り込む。まだ寒い頃だからユリウスのぬくもりが余計に伝わってきてサーシャは落ち着かない。
 狭いベッドで落ちないように気遣えば自然とユリウスを抱き寄せる形になる。一緒に寝てやるのを口実に抱きしめようとした下心がないといえば、嘘になるけれど。ユリウスを思いやってのことでもあるから許してくれと心の中で一人懺悔するサーシャだ。

「こんな風に誰かと一緒に寝るの、初めてです」
「へえ……。俺はよく、ばあちゃんに一緒に寝てもらってたな」
「わ……、お祖母さんですか? 僕にはいないから、ちょっと羨ましいです」

 言いながら顎をひいて俯くユリウスの後ろ頭をそっと撫でてやる。洗いっぱなしのサーシャと違ってちゃんと髪が乾かされている。そんな些細な己との違いを見つけてはサーシャは嬉しくなる。

「それで、色々な話をしてもらったり、俺が色々な話を聞いてもらったりしてた」
「たとえば、どんなお話ですか?」
「んー……そうだな……。アコライト誕生秘話とか」
「誕生……秘話?」

 きょとんとして首を傾げるユリウス。少しの間をおいてから俯き、肩を震わせる。声を殺して笑っているのだと気づいてサーシャは少し頬を緩める。大人しいユリウスがこうして笑うのは珍しいことだったから。

「なんだか、面白そうです」
「聞きたいか?」
「はい。えっと、ご迷惑でなかったら……」
「迷惑なわけがあるか、馬鹿」

 拳で軽く頭を小突く。ユリウスが小さく身を竦めた後、照れたように微笑を浮かべる。その顔を月明かりに盗み見て目を和ませるサーシャだった。

「といっても、俺はばあちゃんと違って話すの下手だけどな……」

 それでも良ければ、といってサーシャは語り始める。大切な記憶をなぞるように、思い出をわけあたえるように、ゆっくりと……。





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 これは、昔むかしのお話です。どれくらい昔かというと、モンスターもまだ少なくて、冒険者と呼ばれる人たちも今と違って、とても少なかったくらいです。もう覚えている人のほとんどいない、昔のお話……。

 あるところに一人の少年がいました。
 少年は容姿も能力も人並みでしたが、とても働き者でした。そのうえ、とても明るくて誰にでも分け隔てなく優しかったので、皆から好かれていました。

 少年にはお母さんも、お父さんもいませんでした。物心ついたときからずっと、孤児院で育ったのです。けれど優しいプリーストたちが幾人も、少年や仲間たちを見守っていてくれたので、少年は幸せでした。

 どんなときでも少年たちに優しくしてくれるプリーストたちに、少年は自然と憧れていきました。
 元々が心優しい少年でしたから、プリーストになってたくさんの人のささやかな手助けになりたいと、強く思うようになりました。

 少年は成長するにつれて孤児院での用や、教会での手伝いをするようになりました。

「君みたいな人が僕たちの仲間に加わってくれたら良いんだけど」

 ときどき、仲良くなったプリーストから冗談半分、本気半分でそう言われます。少年も本当ならそうしたいのですが、なかなか首を縦に振ることができませんでした。

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 少年が「プリーストになりたい」と言い出せないのにはわけがありました。

 少年には、むっつ年下の、弟みたいに可愛がっていた少年がいたのです。
彼は小さいときから病弱だったので、少年がいつも看病してやっていました。

 彼は人見知りが激しくて少年にしか懐かなかったのです。
少年はそれを心配しながらも、嬉しく思っていました。

「こんな自分にでも、誰かに何かしてあげられることがある……」

 そう思うと、少年は天にも昇る心地でした。

 けれど少年がプリーストになるなら、長いこと孤児院を離れなければなりません。
よく一人きりでベッドに寝転んで、窓の外を見ている病弱な彼。
そのことを思うとなかなかプリーストになりたいと、言い出せないのでした。
彼と離れることは少年にとってもまた、辛いことだったのです。

 そうして悩んでいる間にも時間はすぎていきます。
少年も、自分の進む道を決めなくてはならなくなりました。

 そんなある日のことです。
なかなか思い切れない少年を、弟分の少年が呼びました。

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 「どうしたんだい? 怖い夢でも見たのかい?」と、少年が尋ねます。けれど弟分の少年はゆるゆると首を振って少年を見つめます。

「あのね、あのね……」
「うん?」
「僕……、司祭さまになったお兄ちゃんが見たい……」
「お前……」
「僕のためにここに残ってくれなくても大丈夫」

 弟分の少年が、少年にそっと手を伸ばしました。少年は黙ったままその手を握ってやります。熱にあつい手でした。

「ずっと、僕がお兄ちゃんのためにできることを考えてたの」
弟分の少年が微笑みながら言います。
「それに、お兄ちゃんがプリーストになったら、僕も嬉しいから」

 それを聞いて少年ははっと気づきました。弟分の少年も、その小さな体と頭をいっぱいに使って、少年のためにと力をつくしてくれたのです。少年が彼のためにここに残ろうとしたのと同じように、彼もまた少年のためを思っていたのです。

「毎日お兄ちゃんに会えなくなるのは寂しいけど……でも、ときどき帰ってきてくれるんでしょう?」
「うん。約束するよ」
「わーい。頑張ってね。僕も、早く元気になれるように頑張る!」

 本当に心の底から喜んでくれる弟分の少年に、少年も思わず嬉しくなりました。その夜は久しぶりに二人で一緒に眠りました。

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 少年はその次の次の日に旅立ちました。お世話になったプリーストたちも、一緒に暮らした仲間たちも、笑顔で見送ってくれました。中には泣いている人もいました。少年も少しだけ、泣きそうでした。
 その日は、少年の旅立ちを祝うような、抜けるような青空でした。
 一人でてくてく道を歩きながら少年は空を見上げました。邪魔するものなど何もない広い広い原っぱの上に、空はどこまでもどこまでも広がっていました。

 それから数ヶ月が過ぎました。
 少年はどきどきしながら道を歩いていました。一生懸命にがんばったおかげで、とうとう少年もプリーストへの一歩を踏み出せることになったのです。つまり、アコライトになれる日がきたのです。
 といってもアコライトになるためには、色々な試練を乗り越えなければなりません。少年も、山をこえたところにいる神父さまにお会いするようにと言いつかってきました。

 どれほど山道を登ったでしょう。
 来た道をふりかえってみると、遠くまでがよく見えました。大きなかこいみたいな壁の中に、たくさんの小さな建物と、王様の住むおおきなお城が見えます。あまり遠くまで来てしまったのでちゃんと見えませんでしたが、そのかこいのずっと向こうに小さな村がぽつんと見えました。ぽつんぽつんと建っている家の中に、少年の育った孤児院もあるのでした。

「ちゃんとアコライトになれたら、一度顔を見せに帰ろう」

 少年は心にそう決めました。そうすると、疲れきった体にぐんと力がわいてきました。少年はまた前を向いて勇ましく歩き出しました。もう、目指す神父さまはすぐそこです。

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 ようやくのことで少年は神父さまにお会いすることができました。少年はすっかりくたびれていましたが、神父さまがねぎらいの言葉をかけてくださったので、ちょっぴり元気になりました。
 もう日が暮れかけていたので神父さまが泊めてくださることになりました。

「はとを飼っているんですね」
「ああ、趣味みたいなものだけど」
「でんしょばとですか?」
「そうだよ。都や、他の街や村に届けてくれるように何匹か飼ってるんだ」
「僕の村へいくのもありますか?」
「あるよ」
「そうしたら、お願いがあるんですけど……聞いてもらえませんか?」
「なんだい?」
「僕の村に、明日の朝一番に、はとをやってもらえませんか?」
「手紙を届けるのかな?」

 神父さまの問いに少年は嬉しそうに頷きました。

「しあさってに一度、村に戻りますって書いて送るんです」

 少年の笑顔を見て神父さまも微笑みながら頷きました。

「では、明日になったら一番にはとを村へやろう……」



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 そうして少年はアコライトになり、長い月日を経てプリーストになりました。弟分の少年も成長するにつれて丈夫になりました。

 やがておじいさんになった少年は、冒険者をつづけられなくなりました。そこで、ずっと昔にアコライトになるために訪れた場所で、静かに神さまへ祈りをささげることにしました。

 ときどき、かつての彼と同じように少年や少女が、アコライトになるために山をのぼってきます。アコライトのたまごたちのために、彼はいつも、一羽のはとを飛ばしてやることにしていました。はとの行き先はその子たちのお母さんやお父さんのところだったり、それができないときは都だったりしました。

 そうしてまた月日が経ちました。
 山の奥の巡礼場所には、彼のかわりに別のプリーストが修行に来るようになりました。そのプリーストもまた彼にアコライトになる前に会いに来ていたのでした。
 ほんの少ししか一緒にいませんでしたが、そのプリーストは彼のことが大好きでした。そして、一人きりの冒険で心細かったときに飛ばしてくれたはとが、とても嬉しかったことを、ずっとずっと覚えていました。

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「……そして、そのプリーストの次のプリーストも、またその次のプリーストも、はとを飛ばしてやるようになりました。長い長い、気の遠くなるくらい長い時がすぎた今でも、そうやってはとは飛ばされています。

「はとの行き先は、今ではすっかり、大聖堂だけになってしまいました。けれど、これからアコライトになる少年や少女たちを祝う気持ちは、今でも変わりません。

「プロンテラの向こうの山から飛んでくる一羽の白いはとは、また一人、聖職者として生きることを選んだあかし。彼らはこれから他の人以上に辛い道を歩むことになります。だから、そんなはとを見つけたら心の中で『おめでとう』と言っておあげ……」


 優しい祖母の声を思い返しながらの緩やかな語りを終えて、サーシャは一息つく。寝付けない夜、いつも祖母がこの話をしてくれた。自分は今、ユリウスに祖母の優しさの半分でも伝えられただろうか。

 そう思って腕の中のユリウスを見やる。

 そこにあったのは穏やかな寝顔。すうすう、小さな寝息が聞こえてくる。少しくすぐったい思いと一緒に嬉しさがこみあげる。

 やわらかな銀髪をそっと撫でてから、額に口付けた。

「良い夢を。……おやすみ、ユリウス」


end

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