夢の続き
「何でお前はそんなに失敗するんだ?」
久しぶりに実家に帰った僕を待っていたのはそんな言葉でした。
目の前にはずらっと、父さんと母さんと二人の兄と、僕とひとつ違いの妹が並んでいます。全員、ハンターの正装をしていて、近くにはファルコンを待機させているので、なかなか壮観です。ちょっと怖いかもしれません。
先の言葉は一番上の兄のものでした。寡黙なところがあって必要最低限しか発言しないので、余計に言葉に重みがあります。声も冷ややかで、こんなことを思うのはいけないのかもしれませんが、少しだけ苦手です。
といっても別に、兄が僕のことを嫌いというわけではないのです。兄は人を貶めたり見下したりしない人ですから。ただちょっとだけ、素朴に疑問だったのだと思います。
兄だけでなく、両親も、妹も優秀なハンターなのです。というか僕の家は、先祖代々、とても優秀なハンターばかりを送り出してきたのだそうです。妹も素質ばっちりだったみたいで、一昨年にハンターに転職しました。僕の方が冒険者としてのキャリアは少し長いのですが、僕はといえば、今年も転職試験に失敗しました。
その報告をしに実家へ戻って真っ先にかけられたのが、そんな言葉でした。
こんなとき、普通に責められたり勘当されたりした方が楽かもしれません。純粋に不思議そうな家族の視線が、僕には痛いのです。
「すみません……」
俯いたまま思わず、情けない声で謝ってしまいます。
せめてちゃんと頭を下げて謝れたら良いのですが、人前に出ると、特に家族の前だと萎縮してしまって上手く話せないのです。声も小さくなってしまって、もっと自分が情けなくなって、それで余計に萎縮してしまって……の悪循環です。
直したいのですが、なかなか直せません。
「もっとリラックスしてやれば大丈夫」
「ヘーベも私たちの血筋を引いているのだから、大丈夫に決まっているよ」
そんな風に口々に励ましてもらってしまいました。
でも僕は、本当にこの家の血を引いているのだろうかと思うくらいにどんくさいのです。ハンターの転職試験を受けさせてもらえるようになる頃にはもう妹がハンターとして活躍していました。
妹の実力が認められることは、不肖の兄ですがとても自慢で、嬉しいのです。ただ、僕の駄目っぷりが、ちょっと申し訳ないな、と思います。皆は気にしていないみたいですが……。
* * *
もう一度ハンターの転職試験を受けることを約束して、実家を出ました。
実家は、ハンターの名家にしては珍しくルティエにあるのです。お気に入りの耳あてをつけて雪を踏んで歩くのは楽しくて好きです。雪かきは少し大変だけど、その後で雪だるまを作るのは楽しいです。あ、でも雪合戦は苦手でした。
ここで妹と二人で遊んだな、とか。
その時はまだまだ、「立派なハンターになるんだ」って気軽に言えたな、とか。
そんなことを思い出していたら、ちょっとだけ、涙が滲んできました。こうやってすぐによわよわになってしまうから、転職試験も上手くいかないのかもしれません。
雪が降ってるからセンチメンタルになっているだけかも。ううん、きっとそうです。別の場所にいったらもっと違うのかもしれません。せめて雪が降ってなかったら。でも、ルティエは一年中雪が降ってるし、フェイヨンはちょっと近づきにくいし……。
考えている間にアルデバランについてしまいました。
小さい頃はここがとっても憧れの場所でした。歳の離れた兄が時計塔の二階で集めてきた時計の針とか、そういったものを見るのが大好きでした。あ、思い出したらまた涙が……。袖でぐしぐし拭っておきます。
国際都市だけあって、やっぱりアルデバランは賑やかです。
時計塔の前は特に賑わっていて、さすがだなあと、いつ来ても感心してしまいます。カプラさんが忙しそうに働いていて、ハンターさんやマジシャンさんたちが忙しげに行き来しています。
僕もいつかはああして、あの中に混じりたい。そう思います。思うのですが、なかなかフェイヨンへ行く気になれません。アーチャー仲間や、お世話になったアーチャーギルドの方に「また駄目でした」って言って、何ともいえない顔をされるのが辛いのです。それにきっと、相手も反応に困るだろうなと、わかるから……。
どこか行ったことないところへ行ってみようかな、と思い立ちました。僕にしては良い思いつきです。あ、でも、どこへ行こう……。悩んでいる僕の前を、ウィザードさんとプリーストさんが通り過ぎていきました。
「コモドに行ったんだって?」
「ん。ダイヤしてきた」
「当たったのかい?」
「まさか。全滅……」
「ギャンブルなんてするから……。堅実に貯金した方が良いよ」
なんて会話を小耳に挟んでしまいました。
コモド。そういえばコモドには行ったことがありません。噂だと、とっても海が綺麗なところだとか。せっかくだから行ってみようかな、なんて、ちょっと元気が出てきました。
忙しそうなカプラさんの手が空くのを待ってから、転送をお願いしました。お金を節約したいのでいつもイズルードへ行ってから徒歩でプロンテラまで戻っています。その後は少し迷ったんですけど、ちょっとだけ贅沢をして、プロンテラからモロク、モロクからコモドまでは転送してもらうことにしました。
* * *
目を開けたら、もうコモドでした。
あ、僕は転送してもらうときの光が眩しくて、ついつい目を閉じてしまうのです。恥ずかしいから人には秘密なのです。
モロクの暑さがオーブンみたいな暑さだとしたら、コモドのは、お風呂の暑さみたいで、ちょっとだけ蒸し暑い感じです。でも、滅多にかげない海の匂いがかげて、ちょっと嬉しいです。
どこからか陽気な音楽も聞こえてきます。
今流行りのダイヤギャンブルをした帰りなのか、ハンターさんが一人、がっくり肩を落としながら歩いていくのが見えました。うう、ハンターさんの姿を見ると、少しだけ胸が痛みます。
ごめんなさいと見知らぬハンターさんに心の中で謝りながら、僕もダイヤギャンブルをしてみようかな、なんて、いつもなら思わないことを思いました。ギャンブルは良くないことだって、ずっと言われてきたからです。でも、気分転換は大切だから。
カチュアさんにあげるダイヤは、大抵カチュアさんの近くで売っている人がいます(って、前に臨時で一緒になった剣士さんが言ってました)。慣れない砂浜に足をとられながら進んだら、本当に露店が見つかりました。
ひとつだけダイヤを買おうかな、と思って見てみたら、とても高いのです。どうしようかな、と迷っていたら、ダイヤを売っていた商人さんに睨まれてしまいました。買わないのも悪い気がして、ひとつだけダイヤを買ってしまいました。というか、ひとつしか買えるお金がなかったのです。
「あ、あのー……」
「ダイヤて本当に綺麗よねーっ」
「え、えっと……」
恐る恐るカチュアさんに話しかけてみたら、いきなりいっぱい話されてしまって、ちょっと混乱しています。でも、おずおずダイヤを差し出したらとても喜んでくれて、ちょっと嬉しいです。
お礼をくれるというので僕は兜を選びました。何か頭に被れるものがあると良いかな、と思ったのです。コモドもモロクも暑いから、帽子がないと日射病になってしまいそうだったのです。
もらったのはスロットなしのハットでした。被ってみてもあまり似合わなかったので、カチュアさんが大笑いしていました。ちょっと悲しいです。
とぼとぼ歩いていたら、綺麗な音楽が聞こえてきました。
沈みかけた夕日をひきとめるみたいに途方もなく切ない歌でした。
思わず足を止めて聞き入ってしまいます。
たぶん古い古いコモドの言葉なのでしょう。僕にはわからない言葉でした。わからないけど、きゅうって胸が締め付けられるみたいに素敵な歌でした。ちょっとだけ、悲しい歌でした。
(誰が歌ってるんだろ……)
きょろきょろ辺りを見回していたら、樹の下に腰かけてゴムンゴを弾いている男の人がいました。黒い髪が夕日に薄っすらと赤くて、すっごく綺麗です。歌と同じくらい、綺麗。
そっと俯けている顔がゆっくりと上がりました。慌てて目を逸らそうとするのですが間に合わなくて、その人と目が合ってしまいました。見知らぬ人を見つめるなんて、失礼なことをしてしまいました。ぺこんと頭を下げるとその人は嬉しそうに笑って手招きをしました。
「こ、こんにちは」
「やあ。元気がないみたいだね、少年」
「え。えっと……」
「こんなに良いコモド日和なのに何をそんなに憂いているの?」
すっと目を細めて笑うその顔も綺麗です。思わず見とれていたら、いつのまにかそのお兄さんが身を乗り出して、僕の目の前でぱたぱた手を振っていました。
「わわわわ!?」
「おや良い声」
あんまり顔が近いから慌てて後ろへ下がります。砂に足をとられて転びかけたので手をばたつかせてしまいます。それを見てお兄さんは笑いながらまた元の場所に座ります。
何だか今日は笑われてばっかりです。
「アーチャーか。もしかして、バードに転職をしに来たのかな?」
「え、えっと……。あ……」
噂に聞いたことがあります。
コモドの、カチュアさんの近くではバードへの転職試験をしてくれる人がいるって。この人がそうだったのか、と感心しいしい、また眺めてしまいます。
「違うみたいだね」
「あの、ご、ごめんなさい!」
勢いよく頭を下げたらお兄さんはきょとんとした顔をしました。
「あの、あの、お兄さんの歌が、とっても綺麗だったから、聞きほれてしまって」
「ぶ」
今度は身を折って笑い出しました。
もうここまで笑ってもらえたら、ちょっと本望かもしれません。
がっくりしているのが顔に出ていたのでしょう、お兄さんがようやく笑うのを止めて、「ごめんごめん」と拝むようにして手をあげてくれました。
「勢いよく謝るから何事かと思ったら……。うん、ありがとう」
「お兄さんは、バードさんですよね」
「そうだよ」
「あの、立ち入った質問かも、しれないんですけど……。あの、どうして、バードになろうと思ったんですか?」
言ってしまってから僕は慌てて口を押さえます。本当に、もう、立ち入りすぎた質問でした。初対面の人にこんなこと聞くなんて、駄目でした。でも言ってしまったことをなかったことにも出来ないので、僕は黙ってお兄さんが何て言うか、耳を澄まします。
お兄さんは怒った様子もなくて、考える様子もなくて、すぐに口を開きました。
「歌っていないと呼吸ができないから」
「え……」
「マグロは泳いでいないと生きていられないだろう? それと同じさ」
「マ、マグロ……?」
お兄さんの綺麗で、ちょっと浮世離れした感じとは全然違うその単語に、僕はしばらく考えこんでしまいました。だって、本当に唐突だったんです。
想像していたら、そのギャップに思わず笑ってしまいました。そうしたらお兄さんはぽんぽんと僕の頭を撫でてくれました。頭を撫でるなんて失礼なことかもしれないんですけど、でも、このときの僕にはとても嬉しかったのでした。
「後は、こうやって笑う人の顔が好きだから」
そう言って笑うお兄さんの顔はとっても、……とっても、素敵でした。
僕はこんな風に笑ったことがあったでしょうか。
「どうしてハンターになりたいの?」って聞かれたとき、こうやって即答できるでしょうか。
考えてみました。
今までにないほど、考えてみました。
……なかったんです。
ものすごくハンターになりたい!って思っていたのに、どうしてなりたいのかって、考えたこともありませんでした。両親や兄に憧れています。とても尊敬しています。でも、それだけじゃ、なる理由には足りないのかもしれません。
「僕、ハンターになりたくて、ずっと頑張ってきました」
「うん」
「でも……、上手くいかなくて」
「上手くいかないときはね、気分転換が重要。一緒に歌って踊れば案外道は開けるかも〜」
節のついた歌うみたいな言葉に僕はまた笑ってしまいます。少しだけ、泣きそうになりながら。だって、こんな、まったく違う職業になろうとしているのに、いきなりの言葉にも怒らず相手をしてくれるんですから。励ましてくれるんですから。
ついつい、その陽気さにつられて、色々と話してしまいました。
たとえば、僕の家のこととか、そういったことです。
お兄さんは少しの間考えてから首を傾げて尋ねてくれました。そのとき黒い髪がさらって流れて、すごく素敵でした。ちょっとだけ顔が赤くなってしまったかもしれません。今すごくほっぺたが熱いですから。
「ヘーベはもしかして、ハンターになるのが当たり前って思ってる?」
思っていました。
だって、一家でハンターにならなかったのは、アーチャーのまま世界に挑戦してみたい!と一生涯アーチャーでいることを選択した人だけでしたから。だから、僕もアーチャーかハンターのまま一生を過ごすんだと思っていました。
頷く僕にお兄さんは笑って言ってくれました。
「まずはその考えを捨て去ることから始めないとね」
「でも……」
「だって君は家のために生きているわけじゃないだろ?」
「それは、そうですけど」
「ハンターになることが悪いって言ってるんじゃないよ。だけどね、もし家のためにハンターになろうとしているなら、一度考えた方が良いんじゃないかな」
ヒントはそれだけ、とお兄さんは口を閉ざしました。
もう夜も遅いから僕もそろそろ行かなくてはいけません。
少しだけ悲しい気持ちになりながら僕はお暇を告げました。
僕は難しいことを考えるのがとても苦手だから、お兄さんの言葉だけで、いっぱいいっぱいです。だけど、後ちょっとのところで、何かが掴めそうでした。
とぼとぼ歩く僕の背後から歌が聞こえてきました。
お兄さんが歌ってくれてるみたいです。
夕方から夜に移り変わるこの時間にとってもぴったりな歌でした。
僕はきっと、何があってもこの歌を忘れることはないでしょう。
* * *
それからいっぱいの年月がすぎました。
僕はまだアーチャーです。
というより、もう一度アーチャーとしての修行をやりなおしてきたのです。
それで、またコモドに来ました。
あの日と変わらずにお兄さんは、そこにいました。
お兄さんはお仕事でいっぱい人に会うから、もう僕のことは覚えていないだろうな、と思っていました。だから声をかけるとき、初対面みたいにして声をかけました。
「こんにちは」
「おや、ヘーベ。久しぶりだね」
顔を上げたお兄さんは少し驚いてから、懐かしそうに微笑んでくれました。こんなにたくさんの時間、ハンターの転職試験を失敗したと思われていたらどうしようと、ちょっとだけ思いました。
「道は、見つかったかな?」
ぽつりぽつりと手慰みに紡がれる音楽の合間に、不意にお兄さんが尋ねました。きゅっと、心臓が跳ねるのを感じます。どきどき煩い心臓を抑え込もうとして僕はいっぱい力を込めて頷きます。
促すような真っ黒な瞳が僕を見つめています。
僕もそれを見つめ返すことが出来ました。今はまだちょっとだけ、揺らいでしまうけれど。
「僕、あれから考えたんです」
「うん……?」
「僕の本当にしたいことは、何なのか」
「して、そのこころは?」
「僕はいつも他の人よりも何も出来なくて、足を引っ張ってばかりで……。でも、そんな僕を励ましてくれる人とか、好きでいてくれる人がちゃんといて……。だから、今度は」
そこまで言って、喉が痛くなってきました。
どうしてだかわからないけれど、何だかとても、泣きそうだったのです。
ぐっと拳を握って僕は我慢します。これだけはどうしても言いたいことだから。
「今度は僕が、落ち込んでる人や上手くいかない人に、元気をあげたい。笑顔をあげたいって、思うんです。ずっと前に、お兄さんが、僕にしてくれたみたいに」
つっかえつっかえですが、何とか言えました。
お兄さんはちょっとだけ、びっくりしたみたいな顔をしています。僕はまた変なことを言ってしまったのでしょうか。不安になりながら俯いていると、あの日みたいにお兄さんはぽんぽんと頭を撫でてくれました。
そっと見上げると、やさしい笑顔が出迎えてくれます。
「バードはとても素敵な、生涯をかけられる仕事……いや、仕事というよりも、生き様かな。だけど冒険者として生きる上で、ハンター以上の苦しみも悩みもたくさん出てくるだろう。それでも構わない?」
僕を案じてくれているんだなと思うと、また、胸がきゅんとします。
「……はい」
色々な思いを込めて頷きます。
お兄さんはゆっくりと頷いてくれました。
「じゃあ、これから転職のための条件を言うからね……」
* * *
僕は、そうやって、バードになりました。
あれから色々なところを回って狩りの腕をちょっとずつ上げました。その間に、立ち寄った先々で会った人たちに、拙いながらも僕の歌を聞いてもらいました。
最初は、民謡とか、流行歌とか、そういう、人の作ったものを。
その内それだけじゃ物足りなくなってきて、僕はゆっくりと一曲ずつ、自分の歌をつくって歌うようになりました。初めてつくった歌は、淡い恋のあこがれを歌った歌でした。
お兄さんの言っていた通りハンターみたいに僕は拾ってもらえません。臨時で断られることも、多いです。だけどそれはバードだからというより、僕の腕が悪いだけなのでしょう。相変わらず、狩りは下手です。
だから狩りはいつもひとりです。ちょっとだけ、ときどき寂しくもなるけれど、でもそれを歌にすると「あ、これもありなのかな」って、思います。
近くに街も村もないくらい遠いところへ行くこともあります。そういうときは夜にひとりでキャンプをしながら、この歌と、ずっと前にお兄さんが僕に歌ってくれた歌とをならべて順番に歌います。それだけで僕は少しだけ、しあわせになれるのです。
そして、小さい頃見た夢みたいに、思うんです。
僕がもし、誰かに「どうしてバードになったの?」って聞かれたときに
僕がもし、即座に「歌が大好きだからです」って答えることが出来たら
そのときは、もう一度、お兄さんに逢いに行こう、って。
だけどこのことは、恥ずかしいから、まだ誰にも秘密です。
end
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