罪過(6)


「言えよ」

 誰に助けてほしい。お前は誰に救いを求める。
 執拗に尋ねる声に誘われて唇が開く。

「――貴方、に」

 こんなことで神に助けを求めることなどできない。他人に事情を説明して助けてもらうこともできない。己だけで何とすることもできない。
 目の前の男にしか、縋ることができない。
 自然とそう考えている自分をカインは既におかしいと感じなくなっていた。己一人では耐えることも収めることもできない熱と疼きを彼以外にどうにかできないのもまた事実なのだ。

「お願いします。どうか……」

 息も切れ切れに頼みこむ。
 伊吹が考えこむ素振りを見せる僅かな間さえ、鼓動を速くする。答えを聞きたい。答えを聞くのは怖い。アコライトになるのだと両親に宣言したときの恐ろしく長い沈黙に似ていた。あの、くるべき時がきてしまったというような、何か懐かしいものを見るような、何とも知れない視線を思い出す。透明となった己の向こうに知らぬ誰かのあるような。
 沈黙を破り、伊吹が息をつく。

「何をどうして、助けてほしいんだ?」
「わか……ら、な……い」

 涙ながらに首を振る。銀の髪が伊吹の足に幾本か張りつく。薄暗い照明の下でさえ絹糸のように美しい光沢をもっていた。

「体、が。……ん、――熱、く……て」

 鎮めるためにはどうすれば良い。声にならない声で尋ねる。

「何でも……しますから」

 だから、どうか。熱の篭った声を涙と共に零す。
 何度も何度も頭を、頬を伊吹の足に擦りつける。餌をねだる犬のようだと自嘲することもできない。餌を得るためなら何でもできる。それほどの飢えや渇きがあるなど、知らなかった。
 頭上高くで喉を鳴らして笑う音がした。顔を上げる。暗くあいた伊吹の瞳がカインを見つめていた。洞窟のような瞳だった。光など決して届きそうにない、死者の魂の吹きだまる世界へ続く入り口。
 彼は死神なのだろうか。カインはぼんやりと思う。それとも彼も、既にこの世ならざるものなのだろうか。

「何でも、ねえ」
「……っ。は、い」
「てめえは嘘をつくのが上手だからなあ」

 嫌味たらしい声で囁かれカインは身を震わせる。揶揄の言葉さえ今は心地良い刺激にしかならない。
 嘘などつかない。言うことをきく。狂おしいほどの熱にうかされカインはなおも頭を摺り寄せる。涙が零れる。何故泣くのだろう。もうわからない。
 何を伝えようとしていたのかもわからなくなった頃、ようやく伊吹が口を開く。

「何も言えないくらい気持ち良いのか?」
「ん、……っ。ふ……」
「淫乱」

 投げかけられた言葉は奇妙にやさしい響きがあった。
 甘えるように摺り寄せるカインの頭を、伊吹が大雑把に撫でる。髪先が額や襟首をくすぐる。カインの身の疼きが増す。

「またこの間みてえに突っ込んでほしいのか?」

 耳から、肌から、じわりじわりと熱が入り込んでくる。この男は何を言っているのだろう。聞こえる声が遠い。ここは水の底だっただろうか。それとも夢の中だっただろうか。
 涙の浮いた瞳でじっと伊吹を捉えつづける。

「銜えてる間に思い出してたんじゃねえのか」

 なあ、と髪が掴まれる。ごつい指先に銀糸が絡め取られ引き上げられる。細やかな痛みにカインは眉を寄せる。
 痛みのあった一瞬だけは、体の熱が引いた気がした。もっと強い痛みを得られれば正気を保てるかもしれない。正気である方が苦痛は増すのだろうけれど。

「突っ込んでほしかったら、自分で準備して自分で挿れてみな。前にもやったことがあんだろ」

 喉の奥を擦るような微かな笑いが伊吹の声に混じった。
 痛みを与えられるのならその方が良い。正気を保つ意味を見失ってなお、カインは己を保とうとしていた。

「ほしいか?」
「……あ。――っ」

 口内に僅かに残っていた苦味を呑みくだしながらカインは頷く。伊吹の大きな手がやさしく撫でていった。良い子だと犬を褒めるような声が耳に蘇る。認識できなかっただけで、実際に言われていたのかもしれない。

「ほしい……です」
「なら、下も自分で脱げ。できるだろう」
「……し、た……」

 うわ言のように呟く。できる気もする。そうでない気もする。力の入らない手でベルトに触れる。そこでカインは静止する。伊吹は手を使うなと言わなかっただろうか。
 おずおずと上目に伊吹を見やる。声にならない問いかけに、ややあってから答えがあった。

「何だ。本当に犬ころみたいになったな。手は好きに使え」

 擦るようにして指先がカインの喉下をくすぐる。機嫌が良いようだ。自分が言うことをきいてさえいれば無邪気とも思える様子を見せる。それが酷くアンバランスに思えた。
 もつれる指でベルトを引き抜き床へ置く。金具が硬い音を立てた。
 法衣の下を、下着と共に膝頭ほどまで下げる。長い法衣の裾が白い肌を隠してはくれるが、羞恥が心を侵す。
 己のしていることが彼の心に沿ったものであるか確かめるべく伊吹を見やる。カインの頭を撫でていた手が、赤黒いモノを自ら扱いているのが映った。すぐに立ち上がったそれの先端が露を滲ませてらてら光る。
 体の奥が疼いた。
 来い、と声をかけられるのも待たずカインはふらふらと伊吹へ歩み寄る。血と体液の匂いが濃くなる。今はそれさえも劣情を煽る媚薬にしかならない。
 ほしい。
 それが何かはわからないままカインは欲していた。
 そそり立つ赤黒い狂気が何らかの形で与えてくれるだろうという予感はあった。どうすれば与えてもらえるのだろう。どうすれば良かったのだろう。
 靄のかかった頭はしばし惑う。

「どうした。初めてでもあるまいし」

 からかう言葉にぴくんと体が跳ねる。本来ならば感じていただろう強い怒りと屈辱が、快楽の奥底から僅かに滲む。体の求める強さと反する思いにカインは涙を零す。
 抗おうとしても抗いきれない。ふらつく足で更に近づく。重たい手を伊吹の肩にかける。視線の先で伊吹が笑った。

「解さなくて良いのか」
「……え?」
「ああ、てめえは痛くされるのがすきなんだったな」

 伊吹の声が遠い。何を言われているか、よくわからない。ただ頷いておく。この男の言うことさえ聞いておけば少なくともこの身を焦がす切なさからは救ってもらえるはずだ。

「下、全部脱いでおけよ」

 不思議なことに命令の言葉だけはもやを通して明確に聞こえた。こく、ともう一度頷く。力の入らない手でズボンを下ろし、足を引き抜く。
 視線を戻すと伊吹は小さな瓶を手に持っていた。暗い光が瓶の内にある。涙にぼんやりと滲んで、綺麗だ。心の内で呟くと再び涙が落ちた。綺麗なものは酷く遠い。

「来い」
「――は、い……」

 上ずった声で返し、伊吹の膝に跨る。硬い革が皮膚を擦る。伏せた睫が震えた。熱を少しでも外へ逃がそうとカインは懸命に息を吐く。

「ひ、……っ」

 不意に、むき出しになった臀部へ冷たい液体が触れた。尻の間を流れ落ちた液はカイン自身の裏側を伝いくすぐっていく。ただそれだけの刺激がカインの体を狂おしいほど熱くする。
 伊吹の手にしていた瓶の中身だと気づく頃には、どろりとした液体は全てカインを伝い、流れ、たまっていた。

「……っ、ふ……」

 擦りつけるように伊吹自身の先端が臀部の合間に触れる。かけられた液と滲んだ露とが混じりあい、カインの窄まりを濡らす。

「ん、っ……あ、ぁ……」

 切なそうに声を上げカインは伊吹の首筋へ額を擦りつける。流されまいと今でも思う。思うはずなのに。背筋を伸ばしていることさえ難しい。噛み締めようとした唇から甘い声が漏れるのは何故だろう。
 硬い熱の先端が何度も窄まりへ触れる。やがて強く擦られる度、待ちわびてひくつくようになった。
 伊吹が腰を揺らすのをやめた。

「ほら、自分で挿れてみろ」
「……っ」

 嫌だと思うのに腰はゆるゆると振れて丁度良い位置を探しだす。ひくついた入り口に伊吹自身が押し当てられた。身が強張るのも束の間、カインの体はゆっくりと沈んでいく。

「い、――っ……」

 痛いと思うのにさえ時間がかかる。生きたまま焼かれるのはこういった心持だろうか。
 ぬめりを利用して熱い塊が入り口を押し広げ、入りこむ。それ以上奥へ入らぬよう無意識に膝へ力を入れてしまう。太い箇所がいつまでも入り口を痛めつけ、カインの喉を締めつける。薄青の瞳に涙が滲む。

「……ぅ、……ゃ。ぁ……っ」

 痛い。苦しい。それを伝えることさえできない。
 腰を上げようとした。間近にある伊吹の瞳に阻まれる。それは許されないのだと教えられるようだった。
 入り口の痛みは薄れるどころかますます酷くなっていく。待ち望んでいたはずのその痛みはカインに恐怖を与えた。その裏に、内に、何かが潜んでいるような気がしてならないのだ。

「苦しいか?」
「……っ」

 伊吹が問う。一も二もなくカインは頷く。痛みよりも、切ないほどの苦しさが血液の代わりに全身を流れていた。
 頷いた瞬間、涙が頬を落ちた。首輪の内に溜められあたためられた水が汗と混じり合う。

「ならもっと奥まで銜えこんでみな」

 その方が楽になると低い声が囁く。粗い布で皮膚を撫でられた心持がした。反射的に頷く。何かを忘れている気がする。この男の言うことを聞いて本当に良いのだろうか。思いだせない。
 今は従う他、この痛みからも疼きからも逃れられそうにない。体は素直に腰を沈めていく。

「ひ……。……っ、や……」
「どうだ」
「……ふ、ぅ……」

 粘っこい水音と共に熱い塊がカインの体内を強く擦る。びくりと体が跳ねた。切り裂かれるような痛みがあった。意識がそちらへ向いている間は、頭の中も僅かばかり冷静を取り戻せたようだ。
 なのに何故こんなにも体の奥から熱が、疼きがこみあげてくるのだろう。
 もっと強い刺激がほしい。
 もうこれ以上はいらない。
 相反する思いがせめぎあう。

「どうした。ちょっと銜えただけでイっちまいそうなのか?」
「ぃ……。う、……っく。あ……」

 嘲笑の篭る伊吹の言葉に反応するように下肢が甘く疼く。
 違うと首を振る微かな動きだけで体の奥が脈打つ。己の体だというのに何故こうも言うことをきいてくれないのだろう。少しでも刺激を減らそうとして細く息をつく。無駄な足掻きをと誰かが笑った。

「――は、……う……、ぁ」

 薄れそうになる意識をつなぎとめようと己の法衣の胸元を指先で掴む。非力なプリーストだとはいえ、ここまで力の入らないものだっただろうか。
 膝にこめていた力が不意に抜けた。

「あ。――っ……」

 意思に反して体はゆっくりと肉棒を呑みこんでいく。根元まで受け入れると焼けつくような痛みが疼きと共に湧き上がる。しばらくは息もできずにただ硬直する。

「お綺麗な顔をして結構がっつくんだな」

 笑みのこもった声が耳の孔をくすぐる。太い指がカインの顎裏や喉もとを撫でる。あやすように動く指にカインは目を細める。
 接合箇所から伊吹の鼓動を感じる。やわらかな内壁を撫で擦るほどの刺激もない。あるかなしかの微かなものでしかない。だというのに熱っぽい息に乾いた唇からは甘い声が止まらない。
 上体を立てておくこともできずカインは額を伊吹の肩に押しつける。僅かに体を動かしただけで内壁は物欲しげにひくつく。

「んっ……く、――う、あ……」
「媚びて啼くのを覚えたか」

 俯こうとするカインの顎裏を伊吹の指が押し上げる。涙にぼやけた視界いっぱいに伊吹の顔が映った。

「どうしてほしい。言ってみろ」
「あ――……。ふ、ぁ……あ」

 何を言えば良いか、教えられたはずの言葉が出てこない。思い出せない。快楽の波と共に心に浮かんではきえる言葉だけをはっきりと捉えることができる。

「たすけ、て」

 哀願の言葉に、伊吹が唇を歪めて笑う。



















2006/11/19
  伊吹さん。鼻の下が伸びてますよ。気をつけて!