捕獲(4)
ローグの言葉にプリーストは唇を噛む。どうすれば良いのかは知っている。
見知らぬ男に懺悔を、と請われて、倒錯した自慰行為を事細かに聞いたこともある。
性欲が薄いとはいえ、まだ歳若い身に熱が篭る日もあった。けれどそうした時でも、決して自身に触れることすらしようとはしなかった。
快楽を得ることは恐ろしかった。
快楽によって我を忘れることは、もっと恐ろしかった。
どれだけ辛くても禁欲的に生きることを己に課していた。今日のこの日まで、それが破られることはなかった。
それを全て打ち砕くような、ローグの一言。何かを言い返そうにも言葉が浮かばない。想いは息苦しくなるほどに胸の内でのた打ち回っているというのに。
「私、は……。このままで、……。だから、もう」
許してくれと声にはならないままに告げる。ローグは少しばかり意外そうな顔をした。肩を竦めて残念がる仕草は大仰で、わざとらしい。
「そりゃ残念だ。ちゃんと一人でイケたら、ご褒美に枝をやろうと思ったのになあ」
「枝、……っ、……」
「ああ、枝だよ。俺が持ってたらどこで折るかわからねえで、心配だろ?」
問いかけにプリーストは沈黙したままでいる。それを肯定ととったのか、ローグがまた愉快そうに目を細める。己の悪行を知り尽くし、それをより悪い方向へもっていこうと努力しているかのような印象がある。偽悪趣味などと可愛げのあるものではなく、根っから悪いのが、他とは違うところか。
どうすると尋ねるように枝の束を取り出してみせる、そんなローグの姿にプリーストは項垂れる。する、と一言を口にするだけの勇気がない。これ以上、この男にどんな声も聞かれたくない。
頷くには頭が重すぎる。首を振るのは恐ろしい。拒否すれば、あっさりいなくなってくれるとも思えない。この男は戯れ半分に枝を折るのだろう――それは、ここでかもしれないし、外でかもしれないし、全く関係のない人ごみの中でかもしれない。
他人が傷を負うのは嫌だ。
自分が傷を負うのだって、本当は嫌だ。
それでも、他人が傷つくくらいなら、既に傷ついたこの身を差し出そうとは、思う。
けれど、自分でするのは今までとは勝手が違う。抵抗感に、治まりかけていた吐き気がまたぶり返す。どうしてもやらなければならない。どうしてもやりたくない。葛藤に喉が小さく鳴る。
「枝、いらねえのか?」
焦れたような問いに慌てて、要る、と首肯する。ローグの表情が怪訝そうなものに変る。首都に生まれ育ったプリーストの耳に馴染まない、奇妙な言葉をいくつか呟くローグ。何と言っているのかはわからないが、どうやらアマツの方の言葉に似ている。そういえば、ローグの言葉には僅かにアマツ訛りがある。
一人得心するプリーストを、ローグは眉根を寄せながら見つめている。ローグは、ルーンミットガッツとアマツとではジェスチャの返し方が異なることを知らないのだろう。不機嫌そうなままプリーストを見下ろす。
「いらねえなら、ここで折ってくか……」
「違、……ぁ、」
ジェスチャの違いを知ってはいたけれど、それを説明するだけの余力はない。身じろいだときに布地が自身を擦るだけで全身が甘く痺れる。そのまま腰を振ってしまいそうになるのを懸命に留める。そんな浅ましい姿を誰にも見られたくない。相手がこの男なら尚更だ。
枝が欲しいとプリーストから言い出すことは出来ない。かといって枝を諦めるわけにもいかない。顔を伏せて目を閉じる。涙が頬を伝うのを感じながら、手をゆっくりとプリースト自身へ伸ばす。快楽を目的に触れたことのなかった自身へ指先が触れる。
「んっ……ふあ、ぁ……」
それだけで、しどけなく開いた唇からは甘い声が漏れる。緩やかに包むように指先だけを曲げて先端に触れれば、透明の液が絡む。体の奥から続く痛みと、自身から生まれる快感とが交じり合い、余計に体が疼く。
「ぁ、……く、ぅ……。……は、……」
指の合間でくちゅ、と音がする。自分で触れている所為か余計リアルに感じる。触れるだけでは物足りない。けれど、欲望のままに指を動かすのは怖い。己の逡巡に焦れて腰が軽く浮きそうになる。奥がつきんと痛む。その痛みさえ今はもう心地良い。
目をきつく閉じたまま指先を僅かに動かすだけで達しそうになる。それでも達せられないのは、己に課したタブーの所為か、人前だからなのか。
不意にローグの手がプリーストの下衣を掴み、引き摺り下ろす。膝を閉じて抵抗するも、下着ごと完全に足から引き抜かれてしまう。
その寒々しさに瞼を開くとローグの足が視界に入る。そっと視線を上げていくと、笑いながらプリーストのズボンを床へ放り捨てる仕草が出迎える。
「折角やるんだから、足開いてちゃんと見せろよ」
少しは俺を楽しませろ。そう呟きながら、ローグの硬い手がプリーストの膝を押し開く。懸命に閉じようとしても力では敵わない。許しを乞うて首を振るのを、ローグのひと睨みが封じた。プリーストが大きく足を開くのを確認してから、ローグがまた一歩離れる。
枝の束を軽く手のひらの上で跳ねさせながら、プリーストの手元へ視線を注ぐ。見世物を興味本位で覗くときのような、無遠慮な視線。その冷たさがかえって、自身の昂ぶりを余計に熱くする。胸を焦がす屈辱も、呼気を止めそうになるほどの罪悪感も、全身の感覚を研ぎ澄ますのに一役買うばかり。
腰を重く冒す熱に耐え切れずに恐る恐る指が上下に動く。
「あ、――――……っ、ふ、」
脳天まで駆け抜ける電流めいた快楽に顎先が上向き、細く声を上げる。汗ばんだ顔がカンテラに照らされる。緩く閉じた瞼の端で光る涙が艶やかだ。
殺しきれない声が唇を震わせる。拙い指先がもどかしい。無理矢理にでも刺激を与えてくれればこのまま達せられるというのに、それも叶わない。自身に強く触れることが恐ろしい。このまま快楽に身を委ねては、何か取り返しのつかないものが狂ってしまいそうだった。
くちゅ、ちゅ、と響く水音の感覚が次第に短くなっていく。びくんと体が震えた。それを抑えるように腹筋に力が入る。目の前がぼんやりとしてくる。ローグのにやけ笑いも滲んで見えた。指先が懸命に快楽を得ようとして動く。
「ふ、ぁ……、……。っ――……」
掠れた声を長く尾を引かせて途切れさせ、己の手の内に精を吐き出した。限界を極めた末での放出は、達せられた快楽よりも安堵よりも、恐怖に似た不安を呼び込む。広げたままの足を閉じる余裕もなく、ぐったりと壁に背を預け、項垂れる。
上手く出来ない呼吸のためか、体に入る不自然な力のためか、頭の中に重い痺れと痛みが響く。手についた穢れが気持ち悪い。外気に冷やされ、少しずつ固まっていくのが気持ち悪い。早く清めたくて堪らないのに拭くものもない。
びちゃりと冷たい感覚がむき出しの腿に落ちる。手のひらに掬った水が落ちるのと同じように、己の吐き出した精もまた留まりきれず、数滴ずつまた零れていく。その冷たさにプリーストの頬を涙が伝う。顎先から胸元へ伝う涙もまた冷たい。
「っう…………」
「自分で汚したモノは自分で綺麗にしろって言っただろ」
嗚咽を堪えるプリーストにローグの声が降る。ああそうか、と妙に腑に落ちる。この自信に満ちた声に従えば大丈夫なのだろう。けれど従うべき言葉の中身は、プリーストにとっては汚物を舐めるに等しいこと。従いたくはないが、従わなければならない。
手を窪ませて落とさないようにしながら、そっと口まで持ち上げる。抜け切らない毒に腕はまだ重い。不意に手のひらに生あたたかい弾力のある感触が触れる。ぎょっとして瞬き、それからようやく、手に触れたのが己の舌だと気付く。
胸の内は凍りついたようなのに、心臓は痛いほど熱く鼓動を打つ。湿った音を立てて舌が手のひらを舐める。己のしていることが、遠くで他人がしていることのように思える。舌が離れてからまた触れる度に、手の窪みに溜まる液体が冷たく乾いていくのがわかる。こびりつく前に舐めとらなければと次第に動きが早くなっていく。
「っ……ふ、……」
苦いとも言いがたい滑りのある液体が舌先を包む。しゃくりあげるように肩が小さく跳ねる。少しずつ舐めとっては飲み込む。飲み込んだはずなのに、己の精とローグの精とが混じりあったものが、喉に張り付いて呼気を止めているかのようだった。
口元へと涙が伝い、塩辛い味が時折混じる。余計に喉元へ何かがせりあがってくるようで、プリーストは眉根を寄せる。喉の中ほどに硬いものが詰まっていて、それが蓋となって身に入った穢れを押し込めているように感じる。
小さな水音がずっと響いている。昔、拾ってきた仔犬にミルクを与えたことを思い出す。貪るようにして更に鼻先を突っ込んでいた仔犬。途中で姿を消したあの仔犬はどうしただろう。泥と雨に汚れた仔犬のみすぼらしい姿が脳裏にちらつく。
喉を詰まらせながらも何とか己の精を舐め終わる。支える必要のなくなった手が床へ落ちる。ローグが蔑みの笑みを浮かべて見下ろしている。その手には変らずに枝の束がある。それを受け取ろうと、熱いとも冷たいともわからない心持のまま、右手を伸ばす。指先は震えて上手く伸ばせない。動かすと微かにまだ粘っこい水音がする。
「枝、そんなに欲しいか?」
離れた分より一歩多くローグが近付いて来る。間近に屈みこまれ、喉の奥が引きつったように音を鳴らす。開いた足の合間にローグが入り込む。硬直した体を無理矢理動かして首肯する。それを見てローグがまた笑みを落とす。
「欲し……、……です……」
「じゃあ、やるよ」
生乾きの精のついたプリーストの手を払いのけてローグが少し後ろへ下がる。束から枝を一本抜き取り、ようやく痛みの治まってきた窄まりに近づける。プリーストがそれに気付いて足を閉じようとするが、ローグの体がそれを許さない。
逃げようとするプリーストの片足をローグの手が捕らえる。片膝を腰の下に入れるようにして臀部を浮かさせ、そのまま一気に枝を押し入れる。ローグの太いモノを咥え込まされていたそこは抵抗もなく、かえって迎え入れるように枝を呑み込んだ。内壁が纏わりつくように枝に絡む。入口や柔らかい壁についた傷が、固い枝の小さな突起に刺激されて酷く痛む。
一本、二本……とローグが低く数えながら枝を挿しいれていく。僅かな曲がりや尖りを持つ枝が傷を広げ、新たな傷をつけては体内へ入り込む。
「……これで何本目かわかるか?」
「ひっ、……あ……。わからな……い、……」
「てめえが欲しいって言ったんだろうが。数くらい数えとけ」
入口の収縮に押し出されてきた枝の数本を纏めて押し込め、ローグが嘲笑う。ぎちゅ、と枝が中で擦れてそれに追従する。音にまで身を犯され、プリーストは力なく項垂れる。痛みを堪えるように身じろげば余計に入口が締まって痛みが増す。
新しい枝を挿入しようとしていたローグが、顔を上げて囁く。
「てめえが折るつもりかよ」
「っ――……!」
締め付ける入口の貪欲さに苦笑しながらローグがまた一本、枝と枝の合間に潜り込ませるようにして挿す。押し広げられる入口は先ほどよりも楽なはずなのに、痛みは増していく。傷ついた内壁から血が滲む。
「も、う……無理です。嫌、……だ、嫌だ……っ」
更に新しく枝を押し込もうとする手に気付き、プリーストが掠れた声を懸命に上げて制止を呼びかける。もういらないのか、とわざとらしい怪訝そうな顔のローグ。プリーストが項垂れたまま頷くと、手にしていた一本を押し付け、入口を無理にくぐらせる。鋭い尖りに内壁が傷つくのがわかる。熱を帯びた寒気が背筋を走る。
小さく震えながら硬直しているプリーストの足を離し、ローグがゆっくりと立ち上がる。手にしていた枝の束はまた懐に仕舞いこむ。先ほどよりも鋭敏な痛みが全身を支配する。
「枝、を……。くれるのでは、ないのですか」
「やるとは言ったが、全部とは言ってねえ」
何でもないことのように言って、笑いに顔を歪める。ローグの応えにプリーストは怒りを込めて顔を上げる。身じろぐことも出来ず、腰を折る姿勢で壁にもたれたままでいる。その所為で、見下ろすローグと視線がかち合う。涙と共に顔を伏せた。
肌蹴た胸でロザリオが鈍く光る。それに目を留めたローグが手を伸ばす。プリーストは嫌がって首を振る。それだけのことなのにまた、痛みが動きを封じる。毟り取るようにしてロザリオが奪われる。
「返して、ください。……それは、……」
「返して欲しけりゃ、寝首でも掻きに来な。お綺麗なプリースト様にゃ無理かもしれんが……、ああ、もうだいぶ汚れてたっけなあ。そんな体で聖職者が勤まるんだから、世も末だねえ」
見せつけるようにロザリオに唇を寄せながらローグが嗤う。微かに空気が擦れるその音にプリーストの心は刻みつけられる。言い返す言葉もないまま唇を噛んで声を殺す。
「ああそうだ……、代わりのものをやらねえとな」
ふと冷たい金属を首に感じて怯えたように身を強張らせる。ローグの手が素早く何かを取り付けている。何かと視線を下ろしても見えるはずもない。伺うように視線を上げるとローグのいやらしい笑みが迎える。
「犬用の首輪の方がてめえにゃお似合いだろ」
「煩い……!」
「おお怖い怖い」
おどけて言いながらローグはまた身を離した。プリーストの全身を舐め回すように見つめてから、思い出したように口を開く。
「名前は?」
「………………カイン」
僅かな躊躇いの後に告げられた名前に、ローグが可笑しげに目を細める。人殺しの名前だと小さく呟いて、ローグが踵を返す。その足音は聞きなれた悪魔たちの足音よりもなお重く暗く圧し掛かってくる。出口へ向かう途中、気紛れのようにローグが振り向く。
「カインって名前の、えらい淫乱なプリがいるって仲間内に流しておいてやるよ。良かったな、相手には不足しねえだろうよ」
プリーストが口を開くより前に、ローグは音もなく扉を開けて外へ出て行く。扉は閉まるときにだけ僅かに軋んで音を立てた。
早くしないと誰か来るぞ、と面白がるように紡がれたローグの言葉が頭の中で反響している。のろのろと腕を伸ばし、枝を一本掴んで引き抜く。臓腑が引き抜かれていくような寒気とも痛みともつかない悪寒が全身を凍らせる。このおぞましい感触に後どれほど耐えれば良いのか。想像しただけで気が遠くなる。
枝を一本抜く度に、ローグへの憎悪が深まる。枝を一本抜く度に、身の穢れが酷くなる気がする。恥辱に目眩がする。涙が頬を伝う。心の中で、許してください、と小さな己の声が響く。誰に何の許しを乞うのかわからない。わからないまま懸命に叫ぶように祈る。
カンテラの火が、僅かな風に揺れ、力尽きたように途絶えた。
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