おくりもの


 寒すぎて目が覚めた。
 いくら冬だからといって、こんなに冷え込んだろうか。夏の暑さを過ごす内に去年の冬を忘れただけなんだろうか。何にしても、寒い。布団の中はぬくまているはずなのに、寒い。
 お陰で眠気も飛んでしまった。反発して目を瞑っていたが、もう睡魔は帰ってきそうにない。仕方なしに俺は瞼を押し開ける。見えたのは見慣れない天井。プロンテラで借りている安物の部屋とは違って、しっかりした作りの、正に「家」って感じのする部屋。一生をここで過ごすと決めたみたいな、どっしりした心構えみたいなものが、心なしかある気がする。
 ふたつ置かれたベッドの合間のサイドボードには、小さなミニチュアのクリスマスツリーがひとつ、置かれている。上掛けは、少しでもあったまって眠れるようにと、分厚い羽毛布団。俺みたいな駆け出しの冒険者じゃどうあがいても泊まれなさそうな部屋。
 何だってこんな部屋にいるんだろうかと考え込んでいたら、廊下からぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。途中、躓いたみたいな小さな音が一度。「わう」とか何か、間抜けな声が聞こえた。

「サーシャさん、サーシャさん!」

 ばたん、と音を立てて開かれた扉。転がり込むように入ってきたのはユリウスだった。最近ようやく一緒に組めるようになった、俺の相方……みたいなものだろうか。普通なら数日か、かかっても数週間で縮まる程度の経験の差を、半年かかって何とか埋めるようなマイペースアコライトだ。
 もそもそと布団から顔を出すと、朝方出かける時には持っていなかった大きな袋を抱えているユリウスの姿があった。力のないあいつでも軽々と抱えているから、かさばる割りに重さはないんだろう。袋の方を自分の使っているベッドへ置いて、その隣にちょこんと腰かける白い姿。

「おー……、お帰り」
「あ……ただいまです。凄いですよ、外、まだ雪が降っています」
「ルティエは一年中雪が降ってるらしいからなあ……」

 ユリウスのはしゃいだ声に応えて、それでようやく思い出す。そういえば昨日からルティエに来ていたんだった。寝起きはどうも記憶が曖昧になって良くない。

 ユリウスがこつこつ経験を積んで俺と一緒に戦えるようになったのが、三日前。それをどこから聞きつけたのか(十中八九ユリウスから聞いたんだろうが)、ユリウスの兄――アルカージィが「少し早いクリスマスプレゼントをやろう」と言ってきたのが二日前。
 感謝したまえよ、とか偉そうなことを言っていた割に、その日は何もせず颯爽と帰っていった。ただの気紛れか何かだったのだろうとユリウスと二人で首を傾げた、翌朝。相方のヴァレリオさんを伴ってアルカージィは再来した。ヴァレリオさんがワープポータブルを開いて、アルカージィに促されるままユリウスが先に乗って……それを追おうとした俺に、アルカージィがメモを渡してきた。
 ワープポータブルを抜けるとそこは、雪国だった。見渡す限りの雪、雪、雪。一面に積もった雪の上にまた、雪がちらつく。先に来て一人佇むユリウスの姿は雪と同じくらい白くて、そのまま溶け込んでしまうのでは、と不安になった。駆け寄ると、ユリウスは振り向いて淡い笑みを浮かべて、それを見て俺は少し安心した。
 落ち着いてからメモを見てみると、癖のある右肩上がりの筆記体で『下記の住所に数日の滞在を頼んである。よろしく過ごしたまえ。良いクリスマスを。』と書いてあった。ずっと突っ立っているわけにも行かないから、きょろきょろと辺りを眺め回しているユリウスの手を引いて、その住所まで行ってみた。
 出迎えたのは、えらくキムチの香りのするおばさんだった。アルカージィの知人なら、と人懐っこい笑顔で歓待してくれた。何でも以前ルティエを訪れたアルカージィが、このおばさんとキムチで意気投合して以来のつきあいらしい。……アルカージィは妙に顔が広いと、しみじみ思った。

 まあ、そんなこんなで昨日からルティエにいる。ユリウスは「雪を見るのは生まれて初めて」と瞳を輝かせて、ずっとはしゃぎどおしでいる。アルカージィにもらったらしい耳あてをつけて、事あるごとに外へ出て行く。
 ベッドに腰かけたままユリウスが首を傾げて俺を覗き込む。薄青の瞳が寝ぼけた視界に入ってきて、鼓動が跳ねた。何故だか自分でもわからない。ただ、ユリウスが近くにいると無性にどきどきする。嫌な動悸ではなくて、もっとあたたかい、心地良いものでもあったが……落ち着かない。

「あ。……ご、ごめんなさい。寝てたのに、煩くしちゃって。ごめんなさい……疲れてますよね。雪だるまさんとお友達になれたのが嬉しくて、つい……」
「いや、さっきから起きてたから平気だ」
「なら良いんですけど……。本当にごめんなさい」

 深く頭を下げるユリウスに苦笑しながら身を起こす。会ってすぐの頃に喧嘩をして、それでもまだユリウスの謝り癖はなおらない。少しでも悪いと思ったら、いつまでも気にしてしまうんだろう。それが今でも悲しくて、今では良いところだとも思う。
 きちんと足を揃えてベッドに座るユリウスの膝の上に、小さな包みが乗っていた。俺の視線に気づいたのかユリウスが照れたように笑みを浮かべる。

「雪だるまさんにもらったんです」
「開けてみろよ」

 促されるままにユリウスが包みを解く。か細い白い指が器用に包装を剥がしていく。かさかさと小気味良い音がする。簡単なラッピングをどけて箱を開くと、そこに入っていたのは小さなケーキだった。
 一口サイズのチョコレートケーキの上に、同じくチョコで作られた小さな家がひとつ乗っかっている。一面に降りかけられたのは、雪に見立てられた白い粉砂糖。「Merry Christmas」と書かれた小さなチョコプレートが乗っている。

「そういやもう、クリスマスだもんなあ」

 普段は行事なんて全く気にしないから忘れていた。
 ユリウスの隣にはまだ、大きな包みがひとつ。それは?と目で尋ねると、ユリウスは嬉しそうに顔をほころばせる。

「薪の配達を手伝ったら、もらったんです」
「へえ……」

 朝も早くからよく動く奴だ。そう思うと少し自分の現状が恥ずかしくなって、ベッドの上に起き上がる。でも寒いから布団に埋まったままでいる。寒いのはどうも苦手だ。
 ユリウスが大きな袋を丁寧な手つきで開ける。そんな大きい袋に何が入っているのか俺も興味があったから、身を乗り出すようにして、ユリウスの手元を見つめる。白い小さな手が袋の中から引っ張り出してきたのは、分厚い真っ赤な生地に、白いふわふわの飾りがついた……所謂サンタクロースの衣装だった。おまけなのか、トナカイの顔を模したリュックサックまでついている。

「わ……。凄い……」

 貰っちゃって良かったのかな、と自信なさそうに言いながらも、赤い上着をあててみるユリウス。顔はどことなく嬉しそうで、それを見ていると俺もちょっと嬉しくなる。

「折角だから、着てみろよ」
「あ、そうですね……。えっと、じゃあ、折角だから」

 こくんと頷いて、それから目を細めて淡く笑む。俺は思わず跳ね起きてそのまま窓辺へ歩いて行く。半分ほどカーテンが引かれていて、外の様子が少し見えている。白いほわほわした雪が降っていて、曇っているはずなのに明るく感じられる。

「俺、外出てた方が良いか?」

 背を向けたベッドの方から小さな身じろぎの音が聞こえて、何だか落ち着かなくてつい、そんなくだらないことを口にしてしまう。

「え?」
「いや、何でもない……」

 どうして、と問うような不思議そうなユリウスの声に慌てて首を振る。男同士、それもただの狩り友達なのにわざわざ部屋を出る意味が俺にもわからない。いや、わかるけどわかりたくない。
 誰に聞かれたって、自問したって、言えるはずがない。
 こいつに無性に欲情するなんて……。
 衣擦れの音が聞こえてくる。今のは上着を脱いだ音だ、とか。今度のはズボンを脱いだ音だ、とか。ひとつひとつの音を追いかけながら、想像している。覗きをする奴の気分ってこんななんだろうかと、ちょっと思ったりもした。見えない分、何というか、クるものがある。
 不意に衣擦れの音が止んだ。ユリウスの視線を背中に感じる。視線の当たるところだけ焦れるような、くすぐったいような、妙な感覚がある。俺が振り向くのを待っているのは、わかる。それでも、想像の中だけでもあいつを汚したようで、後ろめたい。
 不自然な間の後でようやく覚悟を決めて振り向く。

「どう……ですか……?」

 目を伏せながら控えめに問いを呟くユリウス。銀の髪と、柔らかそうな白い肌が赤の服に映えている。華奢な体には少し大きすぎるみたいで、袖が余っている。肩もちょっとだけずり落ち気味だ。
 これは……。

「か」
「か……? 蚊って、冬にもいましたっけ……」

 可愛い、と口にしそうになって辛うじて飲み込む。ユリウスが首を傾げているが、それがまた、何というか、愛らしい。そんなことを思っては心臓ばくばく言わせている俺は、もう人として末期なのかもしれない。
 そんなことは露とも知らないユリウスは不安そうに俺を見つめている。それを見ていたら申し訳なくなってきて、渋々口を開く。

「いや、格好良いぞ。うん」
「ありがとうございます……っ」

 ぐっと親指を立てて言ってやる。なかなか苦しい誤魔化しだったが、ユリウスは素直に信じて、喜びに顔を輝かせている。またちょっと後ろめたい。どんな育ち方をしたら、こんな風になるものやら。兄のアルカージィとだって、全然似ていない。外見も、性格も。
 そんなことを考えている間に、ユリウスは靴を脱いでベッドの上に座っていた。ちょこんと正座して背筋を伸ばす様が、クリスマスの置物みたいで可笑しい。

「あ……!」
「ど、どうした?」

 唐突に声をあげたユリウスに驚いて駆け寄る。そういえばずっと裸足だった。ちょっと足が寒い。が、今はそんなことは気にせずにユリウスの側へ行く。
 そっと肩に触れると、いつもと違う衣装の手触り。

「クリスマスだってこと、忘れてて……どうしよう。僕、プレゼント用意してなくて……」

 真剣な、泣き出す寸前みたいな顔で何を言うかと思ったら……。思わず脱力して肩を落とす俺を見つめるのは、あくまで真摯な瞳。捨て犬に見つめられたときみたいな罪悪感とも愛情ともつかない思いと、それを払い去った底に残る、傷つけてみたい思いと、色々なものがごちゃ混ぜになる。
 そんな顔で見るのは止めてくれと、理由も言わずに強いるわけにもいかず、かといって理由を言うなんてもっと出来るはずもなく、ただ途方に暮れるばかり。やっぱり、言いたいことを上手く言えない。
 だから言葉の代わりに、柔らかな銀の髪をぽんぽんと軽く撫でてやる。出来るだけ気軽に、友達か弟にするみたいに、本当に気軽に。俺の変な気持ちだとかが伝わらないように願いながら。

「別に、んなもん気にしなくたって良いさ」
「でも……。折角、サーシャさんと会ってから初めてのクリスマスなのに」

 しゅんとして顔を俯けると、長い銀の睫が白い肌に影を落とす。こうして見ると人形みたいだ。大雑把なつくりの俺とは違って、ちょっとしたことで壊れてしまいそうで、怖い。でも壊してみたいとも思う。そんな矛盾した思いを抱えている俺に気付くのが、一番怖い。

「それを言ったら俺だって、プレゼントなんて考えもしなかったし」
「そんなことないです。サーシャさん、こうして僕と一緒にいてくれます。それだけでも、凄く嬉しいんです」

 胸の前で軽く指を組み合わせたユリウスがほんわり笑う。プレゼントって言うなら、これがプレゼントだと思う。赤と白で飾られた、綺麗な銀色。一見すると冷たそうな色なのに、こうやって笑ってると、世界で一番あたたかそうなものに見えてくる。

「俺も」

 だから、勇気を出して口にしてみた。
 ありがとう、だとかそういった言葉は流石に恥ずかしすぎて言えなかった。

「俺も、ユリウスとこうして一緒にルティエに来られたってだけで十分だ」

 ユリウスはきょとんとして瞬いてから……また、綺麗に笑った。
 本当はまだ、言いたいことは山ほどある。その服がよく似合っている、とか。ユリウスが初めて雪を見るとき一緒にいたのが俺で嬉しい、とか。そうやって笑っている顔がたまらなく好きだ、とか。
 そんなこと、思うだけで恥ずかしくて、言うことは出来ないから胸にしまっておく。
 今はまだ、これが精一杯だ。それ以上の言葉を継げなくて、俺はまた布団に潜り込む。パジャマのままでいたから冷えた。布団を被って暖をとっていたら、ユリウスがぺた、と足音を立てて俺のベッドの側に立つ。

「あの。……凄く、嬉しい……です。僕、上手く言えないけど、でも、えっと……ありがとう、ございます……」

 ぺこ、と頭を下げるのが見なくても気配でわかる。か細い声で、何度も指を組み替えながら、懸命に言う。その声を聞いているとまた、何とも言えない気持ちが体の中で騒ぐ。
 何だってこんなに、ユリウスが気にかかるんだ。昔っから特別女に興味はなかったが、かといって男に興味があったわけでもない。誰かとヤリたいとも思わなかった。溜まれば自分で抜く、その程度。一人の方が気楽だった。
 だというのに今頭を占めているのは、ユリウスを抱きたいと、その一念ばかり。
 細い手を無理矢理引き寄せて、ベッドへ。そんな考えが頭を過ぎる。寒さに、おかしくなったんだろうか。俺が俺じゃなくなるみたいで、それがまた怖い。
 ずっとベッドサイドに立ったままのユリウス。寒くないだろうかと心配になって、でも今声を出すのは恥ずかしくて、俺は布団の中で狸寝入りを決め込む。今はもう夕方くらいなんだろうか。眠りすぎで流石の俺も少し頭が痛い。

「サーシャ、さん」

 小さな声でぽつりとユリウスが俺を呼ぶ。そんな些細なことが嬉しくて、そんな些細なことで腰に熱が溜まって、そんな自分が可笑しい。
 不意に冷たい手が俺の頬に触れた。冷たさに身が竦む。

「寝てます……か……?」

 恐る恐るといった感じの、確認の声。ぐう、とわざとらしくイビキの真似をしてみせた。小さな衣擦れが聞こえる。何をしてるんだろう。狸寝入りがばれただろうか。ばれてないはずだ。ユリウスは、一人で歩かせるのも心配になるくらい騙されやすい。
 急に気配が近くなる。近いというか、近すぎる。何だ、と思う間もなく、頬に柔らかなものを感じた。薄っすら目を開けてみたら、白いユリウスの顔が目に入った。そっと目を伏せ、頬を染めたまま。極軽く、一瞬だけ触れさせた、挨拶じみたキス。なのにとても長く感じられた。
 顔は近いまま、祈りの言葉を紡ぐ唇。それが今さっき俺の頬に触れたと思うと、またひとつ大きく、心臓が跳ねた。どくん、と、股間にまで響いたようで、顔が少し熱い。ユリウスにバレなきゃ良いが。
 キスの短さに反して、祈りの言葉は長かった。俺との出会いやら、何やら。俺からすればほんの些細なことまで全部、嬉しかった、幸せだ、と言う。これからも一緒にいられるように、俺に嫌われることがないように、と最後に震える声で付け加えていた。俺が嫌うことなんて、あるはずがないのに。
 祈りの言葉を終えてまた、ユリウスの唇が触れる。今度は頬ではなくて額に。そっと前髪をかきあげるようにした指先が、気持ち良い。ずっと昔、祖母がまだ生きていた頃に、熱を出して倒れたのを介抱してもらったのを、思い出した。誰にも言わなかったが、こうやって髪や額を撫でてもらうと、安心したものだった。
 ユリウスも知ってか知らずか、しばらくの間、俺の髪を撫でていた。ぎこちない、慣れない動きなのが余計に嬉しい。俺にだけ、こうしたのかもしれない。そんな馬鹿なことまで考えてしまう。

 明日はもう、クリスマス。
 プレゼントを見つけるのはクリスマスの朝だと決まっているのに、俺は一足早いプレゼントを貰ってしまったらしい。うっかりもののサンタクロースが、着替えてから十分ほどだというのに、もう普段のアコライトの衣装に着替えようとしているのが聞こえる。
 明日になったらユリウスに、一緒に外へ行こうと誘ってみよう。
 雪だるまの作り方だとか、雪うさぎの作り方だとかを教えて、その後には雪合戦なんかも良いかもしれない。リンゴでも齧りながら、ただぼんやり雪が積もるのを見るだけでも良い。
 今はただ、側にいるだけで幸せだから。



end

















2005/12/24
 今週がクリスマスだって忘れてました。パッチあったのに…… orz