再会
初心者修練所を出てからの俺は、イズルードの周りで修行に明け暮れた。
以前から自主的に体を鍛えていたのが良かったのだろう。街の周囲にいるモンスターたちなら、苦もなく倒せるようになった。
自信がついたところで剣士ギルドへ足を向けた。
試験に若干てこずりはしたが、無事に転職を果たした。自分の努力が認められたようで嬉しかった。その一方で、必ず受かるという自信もあった。
俺は、こんなところで立ち止まるわけにはいかないのだから。
剣士になってからは、転職前よりも一層、鍛錬に励んだ。
プロンテラまで足を向けたくなる気持ちはぐっと堪えた。一度プロンテラへ行ってしまったら、鍛錬もそっちのけに、あいつを探すことにだけ専念してしまいそうだったから。だからあえて、逆の方向に足を向けた。
砂漠の分かれ道を南東へ抜けてポリン島へ。
穏やかな水の音と鳥の声、ポリンたちの跳ねる音……。毎日通っているが、何ひとつ変わったことのないゆったりした光景。
時折、ノービスの連中がポリンやドロップスを叩いては辛勝を収めたりしている。中にはポポリンやマーリンに手を出してぶっ倒れる奴もいる。そんなところまで同じ風景だった。
まるで自分だけが異質な存在のように思えて、足下を跳ねていくポポリンを斬り捨てる気にもならない。なんとなく満たされない気がするのは、油断するとあいつの姿が眼前をちらつくからなんだろう。白いふわふわした柔らかそうな髪だとか、自信なさそうな表情だとか、細っこい手足だとかが頭から離れない。
……と。
ひとつ目の橋を渡ってすぐの茂みの合間に、白いものが見えた。イメージとしては白いほわほわしたうさぎ――ルナティックのようにも見える。が、ポリン島にルナティックは生息していないはず。それに、ルナティックにしてはだいぶ大きいようだ。
不審に思って近付いて行くと、茂みがかさりと揺れた。
真白い髪が木漏れ日を浴びてきらめいて、一瞬、目が眩む。木陰にいる所為か顔色が悪く見える。脂汗の滲んだ額。具合が悪いのだろうに、それよりも己の姿を見た相手を心配するかのような、そんな表情。
初心者修練所で会った、あいつだった。
見間違えるはずもない。
「あ……」
あいつも俺に気づいたのか、戸惑ったような、少し安堵したような、微妙な吐息をついた。
少しあたりを見回して通行人がないのを確認してから、俺も茂みに隠れるようにして座り込む。動けば汗ばむくらいの陽気の頃だというのに、茂みに入ってしまうと涼しくて、砂漠からずっと日に照らされ続けた俺はようやく人心地ついた。
肩が触れ合うくらい近くに腰を下ろして、あいつの顔を見つめる。苦しそうに顰められていた眉根が少し緩んだ気がした。
「お前、こんなところで何やってんだ?」
「……す、すみません……」
「また顔色悪いし……。マジ、どこか悪いんじゃねえの?」
「すみません……。あの、体は、悪くないんです」
「ふん?」
体は、ってことは、何か心因的なものなんだろうか。とはいえ、ポリン類にトラウマのある奴なんて、いるとも思えない。たとえば小さい頃にいたずらに叩いて死に掛けたとか……。でも、こんないたずらをする奴なら、それで死に掛けたってトラウマになるとも思えない。それは俺が単純だからなのか?
何にしろ触れて欲しくなさそうだったから、その辺は触れずにおく。単純でも馬鹿でも、俺にだってそれくらいのことは出来る。
だいぶ気分が収まってきている頃だったのか、あいつは小さく深呼吸をして息を整えようとしている。まだ強張りを残した細い小さな体を包むのは、アコライトの白い衣装――ではなく、何故かノービスのままの衣装だった。
「あれ。お前、アコになるって言ってたよな」
「は、はい。一応、あの、なれたら良いなと言うか……、その、なりたい……です」
「すぱっと『なりたい』って一言で済ませろよ」
「すみません……」
がっくりと肩を落とす。少し長めの白い髪が幾筋か額に落ちて翳りを濃くする。どこか憂いを孕んだ表情は、俺みたいにガサツに育った奴には出来そうにない、色っぽささえ感じるような代物だった。あまり生気のないものだったから、不安もかきたてられるが……それがまた、色気を増す要因になっているようだ。
あいつの腕を肘でつついて先を促す。困惑した瞳が俺を捉える。
「何でお前、まだノービスのままなんだ? それとも、スパノビにでもなるつもりか」
「あの……、その……。まだ、アコ志望……です」
「あれからもう二ヶ月は経ってるのに」
人には人のペースがあるというのはわかっている。わかってはいるが……いくらなんでも、ここまで時間がかかるものだろうか。溜息混じりに見やると、あいつは小さく肩を震わせて項垂れる。
言うか言うまいか悩んでいるのだろう。重い沈黙が落ちる。
「あの、ええと……」
「別に。……別に、言いたくないこと無理に言わなくて良い」
なおも言い募ろうとするのを遮って、俺は早口に言葉を重ねる。あいつは項垂れたままだった。それでも、どことなく空気が和らぐようなのを感じた。俺も少しほっとした。
「お前、名前は?」
不意に、まだ名前も聞いていなかったのを思い出して問う。唐突だったからか、あいつは少し戸惑ったように顔を上げる。逡巡の後に、そろそろと視線を俺に向けた。
「……ユリウス、です」
「綺麗な名だな。よく似合ってる」
「え……」
我知らず口走った台詞は、なんというか、冷静に考えなくても恥ずかしかった。きょとんとした表情で聞き返されると、余計に恥ずかしい。そんな目で俺を見るな。
赤くなりそうだった顔を空へ向けて誤魔化す。あいつの――ユリウスの視線を、顎の辺りに感じる。
「サーシャ」
「は、い……?」
「俺の名前だ。先に言っておくが、さんだとか、つけなくて良いからな」
いかにも、さんづけで呼びそうな面だったから先回りした。ユリウスは明らかに困惑した様子で俺を見つめている。そんなに困ることを言った覚えはない。が、まあ、この辺は想定の範囲内だ。
「サーシャさん、……あ、ええと……」
「…………」
「サーシャ。…………さん」
呼び捨てようとしては、語尾に小さく「さん」とつける。そんな愉快なことをしばらくくりかえすユリウス。それを見ていたら、俺の方が疲れてきた。大げさに溜息をつきながら、ユリウスの白い頭にぽんと手を置く。
「ああもう。さんづけで良いから」
「は、はい。すみません。……あの、」
「なんだよ」
「あの。……ありがとう、ございます」
小さな声で言って、丁寧に頭を下げる。
幼い頃からしつけられたのだろう板についた仕草だった。俺にはとてもじゃないけど真似できない、洗練された姿。胸に感じる僅かな負い目は、育ちが違うだろうことと、俺の愛する故郷を一瞬でも貶めて考えたことへのもので。
なんともいえない寂しさを覚えて、俺はユリウスの頭を何度か軽く叩くように撫でてから手を下ろす。
「さて……、これからどうするかな」
「あの、ええと。もう少しだけ、頑張ってみようと思います」
「大丈夫なのか? さっきも……だいぶ体調悪そうだった」
「大丈夫……だと思います。たぶん……」
ひどく頼りない返事だった。
手伝おうか。そう言おうとして口を開きかけた俺を、まっすぐ見つめてくる瞳が押しとどめる。気弱なくせに、こういうときだけ、瞳には強い意志が溢れる。
記憶の中の弟分の顔が蘇る。弟分にも、ユリウスにも、悪いことなのかもしれないが。妙なところでこの二人が似ているのだから、仕方がない。
「わかった。でも、何かあったらすぐに呼べよ」
「はい。……すみません……、僕が、頼りないばっかりに」
「困ったときはお互い様。お前がアコになったら、その分すぐ返してもらうさ」
「……はい」
連絡先を書いた紙を渡して、俺は立ち上がる。
太陽が眩しいのか、俺を見上げるユリウスの瞳は眩しそうに細められる。
か細い指が、そっと差し出された。俺が怪訝そうにしていると、おずおずと俺の右手の方へ向けられる。ああ、握手か。ようやく思い至って俺からも手を差し伸べる。
なんとなく、握ると壊してしまいそうで、そっと羽毛のように軽くユリウスの手を握った。剣を握って出来たタコなど一切ない滑らかな指。胸の奥で心臓がどきりと跳ねるのがわかった。それがこいつに伝わらないようにと願いながら、早々に手を離す。
「次にお会いするときには、きっとアコになっていますから」
「まあ、期待はしないでおく」
「……すみません」
「無理はするなよ」
しょぼくれた姿を見て、また頭を撫でてやる。柔らかい毛が指の間をくすぐって妙な気が起こりそうになるのを、咳払いをして抑えこむ。
「それじゃあ、またな」
「はい……。あの、お気をつけて……」
気をつけないといけないのはお前の方だ。そう言うとまた落ち込ませそうだったから言わないでおく。言葉は返さずに背を向けた。軽く手を挙げ、指先をひらひらさせて別れの挨拶にした。
次に会ったとき本当にアコになっているのか、この上なく疑問ではあるが……ユリウスがアコになったら、一緒に旅出来るかもしれない。そう思うと、少々気の重い一人の道も、楽しく感じられるのだった。
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