はじめのいっぽ
俺があいつと出会ったのは、初心者修練所だった。
長ったらしい説明を半ば聞き流しながら、はいはいくりかえして、気がついたら初心者用の武器だの防具だのをもらっていた。
マインゴーシュの重みに俺はついにんまりしてしまう。まだ駆け出す前の冒険者だが、これでも刃物の扱いはちょっとしたものだ。といっても、こいつはだいぶ軽く作ってあるようだったが。
それでもかなり精巧に作られていて、本物と見まごうようで……俺はつい、憧れのローグになりきって刃物を舌で舐める真似などしてみた。(今思うと、かなり安直なイメージで恥ずかしい)
「あの……。刃物、舐めたら危ないですよ」
「うわ!?」
背後から不意に声をかけられて、俺は思わず声をあげていた。
振り向くと、柔らかい白い髪をした男が立っていた。歳は俺と同じか、少し下くらいだろう。ぼんやりした顔は勇ましさや何かとは無縁そうに見える、いかにも上品そうで金持ちっぽい感じだった。テラスか何かで優雅に午後のお茶をしながら微笑むのが似合いそうな顔は、憂いに満ちていた。
俺が叫んだきり黙っているのを見ると、そいつは今にも泣き出しそうな顔をして俺の方を見てくる。縋りつくような目だ。おどおどと指を組み、懇願するようにも祈るようにも見えるポーズをとる。
「危ない……ですよ……?」
細い、すぐにも折れてしまいそうな声でそいつはくりかえす。
俺はそこでようやく我にかえった。
口元にあてっぱなしだったマインゴーシュを離して、無造作に提げ持つ。冷静になってみると、だいぶ間抜けな格好でじっとしていたものだとわかって、馬鹿馬鹿しさに自然と表情が険しくなった。
それを見て、またそいつは泣きそうな表情をする。
「……すみません」
肩を落として言う様は、謝っているのに、何でか知らないが俺の方が悪いことをしたような気になる。さっさと外に出てシーフになって、早くローグに……などと考えていたところだから、つい苛々してくる。先ほどの格好悪いところを見られて決まり悪いというのもある。
だからつい、つっけんどんな態度をとってしまう。
「舐めたくらいで怪我するかよ。馬鹿かお前」
びくりと肩を震わせて、そいつは俯いた。膝のところで組み合わせた手をもじもじさせている。自分でやっておいて言うのもあれだが、こんな言い方をされても気分を害する風がないというのは、妙な心持がした。妙な心持は次第に、理不尽な怒りになっていく。
理不尽だと自分でわかっていて止められないから、たちが悪い。
マインゴーシュを持っていない方の手で軽くそいつの肩を突く。後ろへ数歩よろめいてから、何とかそいつは踏みとどまった。そんな仕打ちにもそいつは、きょとんとしている。
きょとんとしているばかりか、小さな声で「すみません」と呟いている。
「ほら、もう舐めてないだろ。だから、さっさとどっか行けよ」
「すみません……、あの、僕も、こっちへ行かないと、いけなくて」
「ああ?」
こっち、と言って指した方を見れば、俺が行けと言われた、実戦のための敷地がある方向。がくりと肩を落として俺は溜息をつく。こんな奴と一緒に戦闘する気になれない。
「お前みたいなどんくさいのが、戦闘なんて出来るのかね」
「すみません……。精一杯、頑張ってきます」
「ふうん。まあ……頑張れ」
相手にするのが馬鹿馬鹿しくなって、そいつに軽く手をあげてやって、さっさと背を向ける。そのまま振り向きもせずに、修練所の係員に話しかけて、実戦用の区画に通してもらう。
ローグに憧れて自主練したりはしたが、俺も実戦は初めてで、さすがに緊張で顔も引き締まる。
「さて……」
辺りを見回すと、淡い桃色をした半透明のゲル状の生き物――ポリンがのんびりと座っていた。ポリンなら、今まで街の側から離れたことのなかった俺も見慣れている。マインゴーシュを構えて、ポリンの頭上めがけて振り下ろす。
ぐにょっとした弾力のある反発が一瞬。刃が押し返されるのも待たず、もう一撃。その後にはピンクの欠片が潰れたゼリーのようにばらまかれる。
まったく呆気ない、ほんの数秒のことだったけれど、俺にとっては初めての戦闘で……なかなか、嬉しかった。故郷を出るときには反対もされたが、それでも俺でもやれば出来るじゃないかと、嬉しかった。
だからガッツポーズをした。そうしたら、また背後から小さな声が聞こえた。今度は悲鳴だ。それが誰なのかわかっていたが、認めたくなくて、俺は聞こえないふりをして歩き出す。
僅かの間を置いて、背後の気配もそろそろと歩き出した。何故か、俺の行く方へ。
足を速めてみる。
背後の足音が、小走りのものになる。
更に速めてみた。
小走りになった足音が、何か重いものが落ちるような音にかき消された。
何事かと思って振り返ったら……半ば予想通り、さっきの白髪の奴がすっころんでいた。
辺りは石ころひとつない平らな大地。どうやったら転べるのか、俺にはさっぱり理解出来ない。そいつは困ったように顔をあげ、眉をひそめてから、ゆっくりと地面に座る。
「すみません……」
「は?」
「いえ……、その、転んでしまって……」
「謝られる覚えはないぞ」
呆れたのを隠しもしないで言う俺に、そいつは嬉しそうな微笑を浮かべた。弱々しい、ちょっと吹いた風に消されてしまいそうな笑みを。
その笑みが儚げで、……見たことがないくらい綺麗だったから、俺はすっかり毒気を抜かれて、苦笑した。それでも笑顔は笑顔だ。だからそいつは安心したんだろう。笑みが少し、強まった。
「お前、泣きそうな顔と困った顔以外も出来るのか」
「はい。……すみません」
小馬鹿にした言い方をまったく気にする……どころか気づいた様子もなく、そいつは頷く。それからまたすまなそうに俯く。何をそんなに萎縮しているのかさっぱりわからない。
足下を、緑色をした少し大きな芋虫――ファブルがもそもそと愚鈍そうに這っていくのが見えた。せっかくだからこいつも、とマインゴーシュを振り下ろす。何度か刺したら、何色ともつかない体液が地面に広がっていき、ファブルは動かなくなった。
段々、コツがつかめてきた。
次からはもう少し、手早く始末できそうな気がした。
汗をかいた額を腕で拭い、何気なく、座っているそいつの方を見ると――そいつは、真っ青になって小さく震えていた。
「何やってんだ、お前」
具合でも悪いのかと、呆れ半分、心配半分に尋ねながら近付いて行く。そいつはまた体を強張らせる。視線は、俺の方……正確に言うと、俺の手元に。そこにあるのはマインゴーシュ。
緑色の体液に濡れたままの刃に気付くと、俺は軽く血抜きをしてから腰の鞘に収める。緑の液体が一滴そいつの頬にかかった。
「あ。悪ぃ」
「っ――……」
「……おい?」
自分の体を抱きすくめるようにして肩を細かく震わせ、身を丸めるようにして蹲る。そんな様子を見ていると、さすがの俺も不安になってきた。そいつの隣に膝をついて、軽く肩を揺する。
そいつはゆっくりと顔を上げる。元々白かった顔が、更に白く……蒼白になっている。前髪にまばらに隠された額には脂汗が滲んでいるのが見えた。
ぐいと肩を押しやって更に顔を上げさせて様子を見ようとした。そしたらそいつは、ぐらりと、ぶれるようにして俺の方へ倒れこんできた。そっと抱きとめてやる。……さすがに、ここで地面に捨てるほど非人情ではない。
そいつは片手で俺の肩に掴まりながら、もう片方の手で自分の口元を押さえている。やはり気分が悪いらしい。こみ上げてくる吐き気を堪えるように何度も背を震わせては、押さえ込むようにぐっと喉を鳴らして唾を飲み込んでいる。
その体は紙のように軽くて、腕の中に確かにあるのに存在が希薄に感じられて、何故か俺の方が不安にさせられた。行きずりの、数時間もしたら存在さえ忘れる程度の、その程度の奴なのに。
「う……、……っ」
「大丈夫なのか、お前。どこか悪いんじゃないのか?」
喉の奥で呻くのを聞いて、つい節介を焼いてしまう。家の近所にいた小さな弟分を思い出す。あいつも、体が弱いくせによく俺の後をついてきたがっては熱を出していた。その姿が、今のこいつの姿に重なってしまう。さっきまでつっけんどんにしていたのも、疎ましがっていたのもどこへやら、俺は自分でも信じられないほど優しく、そいつの背を撫でてやる。
細かい震えが手のひらから伝わってくる。そいつの手がぎゅっと俺の服を握る。力なんてまったくなさそうな白い指。荒れたところのまったくない指。そのどこからこんな力が、と思うほどの強さだった。
眠れない子どもをあやして寝かしつけるように、ぽんぽんと背を叩いてやる。
「……っ……は……」
しばらくの間そいつは咳き込んでいた。俺にはどうしようもないから、背を軽く叩き続ける。水を飲ませてやろうにも、今は飲めないだろうから。
長い、このままずっと続くのではと思う長い時間。こいつの背を撫でながら俺はぼんやりと、故郷のことを思い出していた。幼い頃死んだ両親のおぼろげな顔。悪ガキのまま直りきらず大きくなった俺を育ててくれた爺ちゃん。俺のやることに眉をひそめながら、それでもあたたかく見守ってくれた村の人たち。最期まで俺を慕ってくれた弟分のこと……。
どれくらいの時間が経っただろう。喉をひくつかせる度に震えていた小さな体がゆっくりと静かになっていく。一瞬心がざわついた。その合間を縫って、再びそいつが、顔を上げた。
「すみま……せ……」
「良いから喋るな。また咽るぞ。馬鹿が」
涙目になりながら、それでも俺への謝罪をくりかえすのを見て、何故か泣きたい気持ちになった。もうだいぶ見ていない故郷の景色を思い出したからかもしれない。見事に実った稲穂がゆらぐ黄金の海に、大きな夕陽が悠々と沈んでいく姿。あの、どこか甘いような匂いが、鼻先を掠めたからかもしれない。
硬く強張った指を懸命に開こうとしながら、そいつは俺から身を離そうとする。抱きかかえられてなお座っているのも辛そうな有様だったから、それを押しとどめて軽く抱きしめる。
「良いから、じっとしてろ。青い顔してふらふらされてたら迷惑なんだよ」
「……すみません……。ごめんなさい、……すみません……」
「煩い」
なおも言い募ろうとする様に苛立って、短く切り捨てるように言う。そいつは目を瞠って、それから怯えたように押し黙る。うまく言えない焦燥に俺はますます不機嫌になる。
「だいたい、こんな細っちょろい体でやっていけるのかよ」
「はい……」
「数日もしないで、道端でぶっ倒れてそうじゃないか」
「面目ないです……」
「そこは嘘でも良いから『一人でも大丈夫』とか言っておけよ。馬鹿」
「はい。……すみません」
そいつはようやく、短い返答が出来るようになった。涙交じりの声だったが、それでも割合はっきりしていたから、俺は少し安心していた。腕の中で微かに動くそいつの細い体。あたたかさが腕から伝わってくる。こいつは死ななかったと、それが嬉しかった。
「お前、まさかとは思うが……剣士だとか、目指してるわけじゃないだろうな」
「いえ、そんな。滅相もない……」
白い髪を揺らしながら、そいつは懸命に否定してくる。それくらい見ればわかるのだから、そんなに一生懸命にならなくても良いと言ってやりたかったが、俺はぐっと言葉を呑みこむ。
じゃあ何を。そう先を促すようにそいつを見つめている。そいつは言うかどうか迷うように、唇を噛んで……俺の視線を急かすものだと勘違いしたのか、慌てて口を開く。
「あの、……アコライトに……」
微かな、薄羽蜉蝣の羽が擦りあわされるような微かな声でそいつは言った。その中にも、はっきりとした決意が感じられた。
言われてみるとアコライトは、そいつのイメージにぴったりだった。俺の中にはまったくない選択肢だったから言われるまでは思いつかなかった。でも、聞けば「ああ、こいつにはこれしかない」と思えるような、パズルのピースがぴったり合ったような、そんな気分だった。
「なるほどな……」
「あの……、貴方は……?」
躊躇いがちにおずおずと、そいつは尋ねてくる。シーフになるのだと、ついさっきまでなら何の躊躇いもなく答えたはずなのに。何故か、今は即答できなかった。
答えられない。だがそいつは、じっと俺を見上げてくる。
答えなければならない。でも、答えられない。
仕方がないから俺は、そいつの額を軽く指先で弾いた。豆鉄砲をくらった鳩のようにきょとんとした表情で俺を見つめ、それからそいつは、柔らかい微笑を浮かべた。
「お前には、関係ない」
「……はい。すみません。出すぎた質問でした」
小さい肩を落としてそいつは俯く。女と比べてもだいぶ長いんじゃないかと思う睫が、髪と同じ白で、物珍しかった。俺の周りにいる奴らといえば、黒だの茶色だの赤だの、濃い色ばかりだったから。混じり気なしの白はとても綺麗に見えていた。
そいつは答えを待つのを止めて、また身を起こして体を離そうとする。つい反射的に逃すまいとして俺は腕に力を込める。そいつは不思議そうに俺を見てくる。俺は、気付かないふりをした。
「お前、アコになって、その後はやっぱりプリーストだよな」
「え? あ……、はい。一応……。僕になれるのか、わかりませんけど……」
「まあ今のままじゃどうやっても無理だわな」
「すみません……」
「謝るの、癖なのか? 謝らなくて良いから、頑張れ」
「す」
反射的に謝りかけたのだろう。確かにこれは口癖っぽい。慌てて首を振ってから、そいつは俺の方を改めて見上げる。
「……ありがとうございます」
そう言ってそいつは、雪解け水みたいな密やかな微笑みをそっと顔に広げていった。見たらつられて、つい微笑みを返したくなるような笑みだった。だから俺も、僅かに笑みを返してみせた。
そいつは、もっと嬉しそうに、さっきよりも更に柔らかく微笑んだ。
「……っ。俺は、もう行くからな」
その微笑に少したじろいだ。今でも不覚だったと思う。気を抜いたら頬が赤くなりそうで、俺はわざと、いつも以上にぶっきらぼうに口にした。
そいつは慌てて身を離す。俺も、言った手前仕方ないから手を離してやる。抱くもののなくなった腕が少し寒かった。
土ぼこりを払って立ち上がる。そいつはまだ座ったままでいる。見つめる瞳が青くて、空みたいで、綺麗だった。
「……じゃあな。また機会があれば、会うこともあるだろ」
「はい。名残惜しいですが、これで。……お気をつけて」
さっさと転職先に転送してもらうべく、俺は歩き出す。体が弱そうなそいつがどうやって転職にこぎつけるのが興味はあった。あったが……手伝ってやるというのも何となく嫌で、何も言わなかった。そいつも、何も言わなかった。
背後で衣擦れの音がした。肩越しにちらっと見てみたら、そいつが手を組んで祈っていた。大方、俺の無事だか何だかを祈っているのだろう。何ともいえない感情がこみ上げてくるのを感じながら、それを誤魔化すように俺は、呆れたように溜息をついてみせる。
ゆっくりと歩いて行った先では、係員が優しく、でもどこか事務的に出迎えてくれた。また、腕が寂しく感じた。
性格審査とやらを終えて、俺に適正なのはやっぱりシーフだと言われた。やっぱり、そうだろう。今までだってシーフに似たようなことをして生きてきた自覚はある。間違っても、さっきの奴みたいにお綺麗な姿を保ったりは出来ない生活だった。
でも、だからこそ俺は、転送先を聞かれて口ごもった。
モロクに送ってもらえば、俺の長年の希望通りシーフになれるし、頑張ればそう遠くない内にローグにもなれるだろう。
でも、だ。
シーフの姿で、ローグの姿で、あいつの前に立つのが嫌だった。
特に何の理由もなく、嫌だと思った。
だから、シーフになると答えるのを思いとどまった。直情的で論理なんて関係なく動く俺には、理由なんてそれだけで十分だった。
散々迷った挙句に俺は、溜息をついてから、口を開いた。
「イズルードに送ってください」
「モロクでなくて構わないのですね?」
「はい」
まだ少し、僅かな躊躇いはあった。
それでも口にした瞬間、俺にはこれしかないと、思った。
弟分の姿の重なるあいつ。あいつは、アコライトになると言っていた。あいつのことだから、支援になるんだろう。不器用そうだったから、自分の身も上手く守れないで、他人の安否ばかり気にするようなやつに。
「俺は――剣士になります」
それなら俺が、あいつを守る者になろう。
end
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