プロンテラの一角。 懐事情が特別良くも悪くもない普通の冒険者たちを対象にした宿や下宿の並ぶあたりに、アルカージィはいた。身を包むのはウィザードの装束だ。もう真新しい感じはないが、丁寧に手入れされているのか、皺ひとつない綺麗なものだった。 散歩の途中にちょっと座れるようにとあちらこちらに置かれたベンチに一人腰かける。近くに相方のプリースト、ヴァレリオの姿は見当たらない。 (避けられてるなあ……) 他人事のように胸の内で呟く。懐からタバコ入れを取り出し、一本を口に咥える。マッチを出そうと懐を探ったところで、ヴァレリオに没収されていたことを思い出した。 ちぇ、と口を尖らせつつ、もごもご呪文を唱える。火の呪文なら、マジシャンになってからすぐ覚えた、慣れ親しんだもの。アレンジを加えて、タバコの先にだけ火をつけるのも簡単だった。 今朝、目を覚ましたときからヴァレリオにずっと避けられている。 正確に言うといつも通りに挨拶を交わした後からだが、同じベッドで眠って同じ頃に目を覚ましたのだから、目を覚ましたときから、と言って差し支えないだろう。 (また何か怒らせることしたか? 僕は……) 眉間に皺を寄せながらアルカージィは思案する。 昨夜はいつも通り、ペア狩りから帰ってきて、二人で夕食を作って食べた。お風呂も一緒に入った。その後はヴァレリオの部屋に押しかけて話をして、ベッドにもお邪魔した。軽くいちゃついたり、ちょっと激しく抱いたり抱かれたりも、いつものこと。 (……まあ、いつもより少しヤりすぎた感はあるけど……) やはり、自分がヴァレリオを抱くときに調子に乗って手錠など持ち出したのが良くなかったのだろうか。 思考がそこに行き着くと、連鎖的にヴァレリオの痴態や嬌声が思い浮かんで、腰が少し疼く。煩悩を振り払おうとして何度か首を振る。 と、道の向こうから紙袋を抱えて歩いて来る人物が目についた。少しくすんだ金の髪を後ろに撫でつけ、前髪を幾筋か額に垂らした、茶色い瞳のプリースト。 「ヴァル!」 反射的に声をかけてからアルカージィは、タバコを咥えたままだったと気付く。慌ててタバコを地面へ捨てて靴底で踏み消す。 呼ばれたヴァレリオは、緩く視線を巡らせてからアルカージィの姿を見つけたようだ。向けられる笑みはいつも通りに明るく穏やかで、アルカージィは少し安心する。別に怒っているわけではないらしい。 手招きすると、少し迷うようにしてからヴァレリオがやって来る。お互いに何も言わなくても、肩が少し触れ合うくらいの距離に腰が下ろされる。荷物は脇に置いて、二人の間には置かない。そんな些細なことが自然に行われていて、アルカージィにはそれが嬉しい。 「消耗品の買出し?」 アルカージィの問いにヴァレリオは笑みを浮かべたまま頷く。見るか?と尋ねるように首を傾げながら、紙袋を膝に置いて口を開けてくれる。せっかくだからとアルカージィは覗き込む。 袋には、大量のブルージェムストーンや、聖水を作るのに使うのだろう空き瓶が入っていた。その中にまぎれて、見慣れないものを見つけた。 「あれ。これ……?」 ひょいとつまみ上げ、日にかざしてみる。赤と白の縞模様のセロファンで包まれた可愛らしいキャンディだった。 「ヴァルって、甘いもの好きだったっけ」 怪訝そうにしながら相方の方を見やれば、ヴァレリオは頬を赤くして俯いていた。意外なものを見つけた上に意外な反応を見て、アルカージィも少しうろたえる。 「キャンディは喉に良さそうだったから」 「喉? ヴァル、風邪?」 「お前が、無茶をするから、……喉が……っ」 いつもと同じように声を出そうとしたヴァレリオが苦しそうに声を詰まらせる。口元を手で覆いながら何度か咳をして、ようやく落ち着いた様子で息をつく。 咳き込んだ所為なのか、動揺した所為なのか、耳元までほんのりと赤い。それを見てようやくアルカージィが了解したように手を打つ。 「ああ、なるほど。そっか、昨日は手錠でお互い興奮しちゃったもんねえ」 「っ…………!」 顔を真っ赤にしたヴァレリオが、言葉の前に拳をくりだす。非力とはいえ良い感じにアルカージィの顎下にヒットしたので申し分なく痛かった。 プリーストが他人に手を上げるなんて、とアルカージィは冗談半分に心の中で呟く。けれど、ヴァレリオがこうして叩いたりするのはアルカージィだけで、それは何だかとても嬉しいことだった。叩かれて喜ぶなんてマゾか僕は、と一人ツッコミもしてしまったが。 「そういう、ことを……往来で叫ぶな!」 小さく叫ぶように言うヴァレリオ。その声はいつもに比べて、妙に掠れている。ようやくそれに気づいたアルカージィはにや、と笑みを浮かべる。 「朝から僕を避けてたのは、昨日が激しすぎて声が掠れてたからかあ」 「そういうことを、言葉にするんじゃない……」 「だって。ヴァルが」 「それ以上言うと、今晩は夕食抜きにするぞ」 「ちぇ……」 頬に朱を残したまま軽く睨んでいるヴァレリオ。冒険者としての腕が上がるにつれて精悍さを増していく顔立ちも、そうしていると、やたらと可愛らしく見える。 ヴァレリオが時々、俯いて咳き込む。 「辛い……?」 「急にしおらしくなるな。……大丈夫。少し、喉が痛むだけだから」 アルカージィを安心させるように、朱色の手袋に包まれた手が髪を撫でてくれる。何だかんだ言っても微笑みかけてくれるヴァレリオに頭が下がる思いだった。 不意に決意を固めたようにアルカージィが立ち上がる。 「よし、今晩の食事は僕が作ろう」 「………………アルが……?」 この上なく不安そうな色を浮かべてヴァレリオが呟く。が、ひたすらに我が道を行くアルカージィは全くそれに気づいた様子はない。とん、と胸を叩いて請け負う。 「ヴァルに辛い思いをさせた責任をとってね。いつもほとんどヴァルに任せっぱなしだし、たまには僕が全部やるよ」 「いや、……気持ちだけで十分だ……」 アルカージィの料理の腕をよく知るヴァレリオは、少し顔色を悪くして首を振る。以前アルカージィが一人でパイを作ったときには、何をどうやったものか、オーブンが暴発して危うく大惨事になるところだった。 「食後用に、喉に優しい蜂蜜ドリンクも作るし!」 「作り方、知ってるのか?」 「小さいときにお祖母ちゃんに習ったから、たぶん大丈夫」 アルカージィは確かに記憶の良い方だから、習った方法とやらは完全に覚えているのだろう。問題は、それを実際に行うときに何故か妙な手順が加えられて、結果的に全く違うものが出来てしまう、という一点にあるのだが。 夕食後の台所の惨事を思ってヴァレリオがこめかみを押さえ、溜息をつく。そうとは知らないアルカージィは暢気そうに、蜂蜜かあ、などと呟いている。 「蜂蜜プレイも、いつかやってみたいね!」 明るく同意を求めるアルカージィ。 その言葉に衆目が集められ、ヴァレリオは反論する気力も突っ込む気力もなくしたまま、ただ肩を落として溜息をつくのだった。 end
|